アインシュタインは相対性理論を提唱したり、エジソンは様々な発明をしています。
ちなみに、エジソンの発明品のオリジナルのほとんどが別の人の発明であり、エジソンはそれを改良して実際に作品化して活用出来るようにしたという点に着目して発明王と言われているとの説もあるそうです。
そして、この二人の晩年についてはあまり記録が残っていないとも言われています。
そして、僅かながらに残っている記録を紐解くと、
この二人は自らの発想や着想が自分の中から出ているのではなく、他の所(源)から来ているのでは・・・
と考えるに至り、晩年はその発想や着想の源があの世にあると考え、あの世との交信機器の発明に取りかかったり、あるいは、あの世を証明するための理論構築に多くを費やしたという記録が残っています。
そして、そのような状況を見た学界などは、変人と見なして相手にしなくなったと伝えられています。
つまり、アインシュタインもエジソンも、
自らの理論や発明そのものはこの世に存在し適用することが出来るが、その発想や着想の源はあの世からもたらされている?
という点を残りの生涯を掛けて突き止めようとしていました。
ここまでお読みなって頂いて感想などは様々かと思われますが、大方のイメージから言うと、
あの世はこの世を含んでいる
あるいは、
この世はあの世に覆われている
という風に感じ取れるかと思います。
数学的に表すと、
この世 ≦ あの世
という感じかもしれません。
そして、このような方程式は私達の世界、そして、私達自身にも当てはまる部分があります。
それは、
この世 ≦ あの世 ⇄ ネガティブ ≦ ポジティブ
という図式です。
皆さんは産まれながらの悪人という赤ちゃんは存在すると思いますでしょうか?
つまり、産まれた時、あるいは、お母さんの胎内にいる時に犯罪を思いつく赤ちゃん・・・
ネガティブ=悪、ポジティブ=善という単純な意味合いではありません。
これは、
私達の誰もが持っている個性を方向付ける基盤
のようなものです。
そして、私達自身の内面であれ、あるいは、社会や世界の情勢などであれ、
ポジティブな面が僅かながらネガティブな面を上回っている事で、(様々な出来事がありながらも、曲がりなりにも)全てが成り立つ事が出来ている
と考えられています。
これは量子力学における意識の研究や実験などでも既に証明されています。
よく、コップの中にお水が半分残っている際に、「半分しかない」あるいは「半分もある」との見方でネガティブやポジティブを区分けする遊びもあります。
しかし、コップに「5分の1」も、まだお水が残っている!という見方も同時に成り立ちます。
つまり、
成り立つというバランスは、「5:5 あるいは 半分:半分」 であるとは限らない
という意味です。
繰り返しですが、
この世 ≦ あの世 ⇄ ネガティブ ≦ ポジティブ
という図式です。
これは「あの世がなければこの世の正義は成り立たない」「この世とあの世は重なっている」「あの世はこの世を含んでいる」と同じ意味です。
そして、私が「何か」が乱れていると感じているとコメントしたのは、実は、
この世 ≧ あの世 ⇄ ネガティブ ≧ ポジティブ
のように、図式が逆転し始めている、と感じるからです。
つまり、あまりにも「この世的なもの」、例えば、物的なものやお金、名誉、権力などへの「過度」の執着心が溢れ返り、そして、そのような状況を産み出している最大の要因が、