この世とあの世は重なっている
という見解が多くを占めています。
しかし、二つの世界が重なっているのであれば、どうして誰もが普通に交流したり、お互いに姿を見たり聞いたり出来ないのかと思われるかもしれません。
そこで、科学における「次元」という概念が出てきます。
例えば、
二次元とは1枚の紙のようなもの
と捉えるとイメージがしやすくなります。
二次元とは立体的ではなく平面です。
その二次元である紙に犬や猫の絵を描いたとしても平面のままで飛び出す事はありません。
そして、この紙を100枚、1000枚、10000枚と積み重ねていくと、高さと奥行きが出てきます。
つまり、
三次元とは紙を積み重ねて出来た束のようなもの
とイメージすることが出来ます。
言わば、三次元を形で表すと、奥行きと高さを持ったサイコロのような形態です。
立方体でも直方体でも構いません。
例えば、宅配業者の倉庫のような場所を思い描いてみて下さい。
そこには多くの「ダンボール」が「山」のように積まれています。
そして、
四次元とは三次元の「ダンボール」が集まった「山」のようなもの
と捉える事が出来ます。
つまり、1個1個のダンボールが独自の三次元であり、そのような三次元が集積したものを固まりとして見たものが四次元と言われるものです。
私達は三次元に存在しています。
そして、三次元の特徴には、
空間と時間が存在する
と言われています。
そして、二次元の中から見たら、三次元を認識し難いという側面があります。
また、三次元の中から見たら、四次元を認識し難いという側面があります。
しかし、三次元の中では二次元の存在を容易に認識出来ています。
また、おそらく四次元の中では三次元の存在を容易に認識出来ていると推測されます。
先ほど、
この世とあの世は重なっている
とコメントしましたが、あの世が四次元という意味ではありません。
「重なっている」とは言え、
私達が存在している次元はあの世より低いため、より高い次元を私達は認識し難い
という側面があるという事です。
そして、ポイントは、
認識出来ないのではなく、認識し難い
という点です。
ちなみに最近の科学における説としては、ブラックホールは全てを飲み込んでしまう性質のものではなく、単に三次元と四次元などの他の次元間を繋ぎ、行き来するためのトンネルのようなもの、と解されている方が多くなってきています。
そして、このようにこの世とあの世は重なっているという側面から、
この世にある物は、全てあの世から来ている
あるいは、
この世はあの世の一部である
と言われています。
それでは、皆さん自身の発想や着想、あるいは、直観的な感覚とはどこから来ていると感じるでしょうか?
全ての発想などは自らの中から産み出されていると確信出来るでしょうか?
そこで、アインシュタインやエジソンなどは皆さんもご存じかと思います。