あなたの心の「間(ま)」を「魔(ま)」に変えないために ~幸せへの伸びしろ~ 

「間(ま)」は「幸せ」への「伸びしろ部分」

 

とも言えます。
そして、この「間(ま)」は自分が創り出しているものであり、「間(ま)」を上手に活用して「幸せ」へと転嫁させるのも、あるいは、「魔(ま)」へ変質させてしまうかもしれない可能性もあなた自身が握っており、充分コントロールが可能なものです!

 

ちなみに、今回と関連したテーマと致しましては2017年7月2日・9日の第156・157回目のTOPICS『 天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(多重人格との比較も):前半後半 』などもございます。

 

それと、少しだけ余談を続けますが、一国の指導者?と言われている人の、「忖度」「意向」の問題が取り上げられています。
是非、真相の解明に結びつけて欲しいと思う一方、現在の所は、まだまだ遠い状況のようにも思えますが、「類は友を呼ぶ」ということの「行動の結果」という観点から考えて見ると、何かが見えてくるかもしれません、、、、、

また、「共謀罪」「テロ等準備罪」とも言われている法案が通過しそうな状況でもありますが、確かにテロに限らず犯罪を未然に防ぐ努力や方策も必要なのでしょうが、「類は友を呼ぶ」ということから集まった、ごく限られた「権力を持った人」の範囲内でのみ通用される考えが「善」とされ、それ以外は「悪」とされてしまう可能性も少なからず含んでいるようにも感じますし、「何が善?」という考えでは、その一端は以前のTOPICSでも少しお伝えした、「道徳の教科化」という現実にすでに現れつつあるのでは?、、、、、と個人的に感じる点もあります。

 

「内心」は自由だからという理由で、心の内で人を殺したり傷付けたりするような思いを持つ事が好ましいとは思いませんが、また同時に、詰まる所、今回のテーマのように「何を幸せと感じ、何を不幸と思うのかも、個人の内面により人それぞれ自由」とも感じています、、、、、

そして、私達、人間という存在、あるいは、魂としての存在という風な表現を借りた時に、完全に「内心の自由」を奪われるという事態は起こり得ませんが、しかし、この世という社会においては「内心を表現する自由」を奪われるということは、私達が人間として存在する意味を失ってしまう事にも繋がりかねないのでは、、、、、とも思っています、、、、、

 

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