【 幸せは完全で「間」がない 】
それは、
「不幸」という言葉が持っている、多くの「間(ま)」が伴うイメージ
が理由です!
そこで、問い掛けます、、、
あなたの「幸せ」とは何ですか???

答えは人の数ほど存在し、一人で幾つも幸せを持っている場合もあります(笑)
それと同じく、
不幸と思える事柄も人の数ほど様々である
という事です。
そして、
「幸せ」とは、それ自体が完全である
という性質があります。
つまり、「幸せ」とは、
現時点で既に完全でありつつ、更に幾らでも積み重ねが可能
という性質が備わっています!
【 不幸は不完全で「間」がある 】
一方の「不幸」では、
「不幸」とは、一見すると不完全な面があると思い込む
という傾向が高くなります。

そして、一見すると、
「不完全」とは、何かが「欠けて」いる
と思い込んでしまう状態です。
この、「欠けて」いると思い込んでしまう箇所が、
「間(ま)」となっている
という状態です。
そして、
「間(ま)」を自分の力で埋めていく事が「幸せ」
となります。
しかし、
「間(ま)」を他の人や何かの状況を悪用して、無理矢理に埋めようとすると、「魔(ま)」に変質する怖れがある
という「大きな違い」が生じます、、、

ちなみに、「幸せな人を見ていると、自分も幸せな気持ちになれる」とは、「幸せのお裾分け」で、これは「幸せの積み重ね」になります(笑)
【 他者との比較に幸せはない 】
「不幸」と思い込む事柄の「源」には、不安や心配、他の人への羨望(嫉妬)など、多々あります。
ただ、このような感情は程度の差があるだけで、誰でも持っており、私も同じです(笑)
そして、この感情が生み出される「源」には、
他者との比較による幸せの定義
が存在しています!
つまり、不幸の手紙やメールを送り付ける人は、
その人自身が不幸と感じている(思い込んでいる)
という点が絶対的に存在しています!

そして、他の人を「自分以下」の不幸の思いに陥(おとしい)れる事で、
「相対的に」自分が幸せであると、、、、錯覚を起こしている
のが事実です!
そして、その錯覚を身勝手な「安堵感」に繋げています、、、