レガシー・ 遺産、、、? ~長年の人々の思いが込められているかどうか~

人々の思いが込められている

 

という点です。
伊勢神宮であれば、本殿などの建造物は20年毎に入れ替わることなどから、古くからの建造物を崇拝するというよりも、

 

(伊勢神宮という)場に対する人々の思い

 

が込められていることと思いますし、奈良の大仏さんであれば、

 

人々の思いが対象・投影された建立物(存在)

 

と言えるかもしれません。
仮に、奈良の大仏さんが現在の所から移転したとしてもそれは同じことと思います。

 

青森県のむつ市にも日本三大霊山として有名な恐山があります。
私も小さい頃に行った記憶がかすかにありますが、その当時はお寺も古くて正直怖かった思いがあります。
現在はお寺も新しくなり、多少雰囲気も以前とは違うのかもしれませんが、恐山もお寺が新しく変わろうと、恐山という場としての人々の思い、そして、旅立った方々への人々の思い、というのが込められている所です。

分かりやすいように神社仏閣を例えとして挙げましたが、これは自然や風景などでも同じことです。
富士山や岩木山なども同様です。

 

それでは、現在色々話題に取り上げられている東京オリンピックの関連施設などは、このような意味でのレガシー・遺産としてなり得るのでしょうか?
これから先も色々な大会が催され、そこに人々の思いが込められていけばレガシー・遺産となり得るのかもしれません。
同様な例としては、甲子園が野球の聖地と言われているように、、、、、
しかし、

 

当初からレガシー・遺産として建造するのは不可能

 

ということです。
なぜなら、レガシー・遺産というのは、

 

長年の人々の思いが込められてなり得るもの

 

という点です。
勿論、盛んにレガシー・遺産とメディアなどで称されているのは、その後の「有効活用」「維持管理費の適切さ」という点が取り上げられているのは充分承知の上です。

 

そこで、私は先ほど「短いフレーズ」という点をコメントしました。
そして、「短いフレーズ」でも違いが出る、、、、、と。

 

ヒプノセラピーなどにおける潜在意識の特徴の一つとして、「レガシー・遺産」などのような短く耳障りの良い、そして、様々に解釈可能なフレーズというのは潜在意識に到達しやすいという傾向があります。
ましてや、メディアなどで連日のように「繰り返し」連呼されているようなケースでは尚更です。
そして、「レガシー・遺産」としてなり得る基準などが不明確なままでも、いつの間にか「そのようなもの」として受け入れてしまいがちになる、という傾向もあります。

 

おそらく、今話題の関連施設が「レガシー・遺産」として適切と判断されても、数百年も続く施設などはないでしょうし、間違いなく、数十年もすれば様々な思惑などから新たな大会の開催と関連付けて、大規模改修・取り壊し・新築という流れになっていくのは目に見えています。
私は関連施設などの建設を反対している訳でもありません。
何かを建造あるいは改修するには当然の如く、それなりの費用もかかります。
また、費用がかかるからと言って、全てを仮設でまかなうというのも違和感を感じる部分もあります。

 

そして、繰り返しですが、当初からレガシー・遺産として建造するのは不可能、ということです。
あくまで、人々の思いが込められ、積み重なることによりレガシー・遺産としてなり得るという点があるからです。
そして、当初からレガシー・遺産として残そうと判断していくと、おそらくそうはなり得ず、あらぬ方向に行く可能性もあります。

 

そこで、ここまで現実的な出来事を見てきましたが、私がお伝えしたいことは関連施設の良し悪しという問題ではありません。
先ほどの様々な解釈が可能な「短いフレーズ」ですら、繰り返されることにより、潜在意識にそれが届きやすくなるということと、