二者択一からの飛翔 ~ダーウィンの進化論&鶏が先か?卵が先か?~

第120回:『 二者択一からの飛翔 ~ダーウィンの進化論&鶏が先か?卵が先か?~ 』
【 参照キーワード:二者択一、究極の選択、固定観念、ミルトン・エリクソン、ダーウィンの進化論 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

連続して発生していた台風もこの頃では落ち着きを見せているようですが、10月中旬という季節にも関わらず夏日を観測する地域などもあるとのことで、自然の流れに抗うことは出来ませんが、服装の調節などで快適な季節にしたいものですね。

 

ところで、私が中学や高校の頃だったと思いますが、その当時「究極の選択」という遊びが一時流行していた時期がありました。
今から思えば究極のネガティブな発想の遊びと感じますが、その頃はあまり気にも留めていませんでした。
内容はどちらを選択しても本人にとってはネガティブな決断をせざるを得ないというものですが、見方を変えればどちらの選択をして妥協するのかという捉え方も出来ます。

 

今ではTVドラマなどでも見かけなくなりましたが、その当時の恋愛ドラマなどでは、彼女が彼氏に対して、「仕事と私とどっちが大事?」などの問いかけも「究極の選択」に近いものがあったかもしれません。
そこで、今回は「二者択一からの飛翔 ~ダーウィンの進化論&鶏が先か?卵が先か?~」というテーマでお届け致します。

 

そして、今回のテ-マを進めるに当たり、今までもこのTOPICSにおいて何度か登場頂いた「鶏が先か?卵が先か?」という論争?に手伝って貰いたいと思います。
そこで、この「鶏が先か?卵が先か?」を今一度おさらいしてみたいと思います。

 

鶏が産まれてくる状況としては、卵から孵化する必要性があります。
まず、卵として産み育てて貰いながら、その後、殻を破って鶏として成長していきます。
そうして成長した鶏は自分でも卵を産み、その卵から孵化した鶏がさらに卵を産み育てていくという、言わば、

 

生命の連鎖

 

が出来上がっていきます。
そして、この論争の種となっているのは、

 

では、一番最初に誕生した鶏は「誰が卵を産み育てたのか?」

 

という点です。
鶏が卵から孵化するという意味では、必ずその卵を産み育てる親鶏の存在が必要になります。
しかし、最初の1羽目となる子鶏の親は誰なのか?という論争です。

 

皆さんも一度は考えたことがあるかもしれませんが、今一度考えてみると、どのように感じるでしょうか?
どのような意見でも構いませんが、理論や理屈の上ではこの問いに答えは出てこないと思います。
また、鶏でなくても亀でも他の動物でも構いません。
勿論、人間の誕生として捉えてみることも出来ることでしょう。

 

そこで、今回のテ-マの「二者択一からの飛翔」に登場願います。
なお、これから先述べることは、あくまでこのTOPICSを書き連ねていく上での私の勝手な突拍子もない論法ですので、現在の所、根拠は一切ありません。
では、この「鶏が先か?卵が先か?」の論争に終止符を打ってみたいと思います。
その答えは、

 

一番最初の鶏の誕生に際しては、鶏も卵も、どちらも同時に存在していた

 

という結論です。
しかし、一番最初の鶏の誕生時に、すでに鶏たる親鶏が存在しているのはおかしい!と思われることと思います。
理論や理屈の上ではそのような意見になるのは至極当然です。

 

ところで、私達の大部分は「時間」は過去から未来へ一直線に流れ、「空間」は今私達が存在しているこの場だけに存在する、と考えているという前提があります。
このような前提の元では、「鶏が先か?卵が先か?」という論争に終止符は打てません。
なぜなら、このような前提の元では、終止符が打てないというのが正解になるからです。

 

しかし、実際の所は、「時間」は過去から未来へ一直線に流れている、あるいは、「空間」とは複数存在するものではなく今この場が全てであるという前提も科学的に証明されているものではありません
もしかしたら、真相は違うかもしれない?という所が今回の「飛翔」のポイントです。