はじめてのおつかいと守護霊 ~誰もが一人きりではなく見守りがある~

この見守りは、人生における守護霊の見守りと同じなのでは?

 

という思いです。
極力手を出さず、その子どものあるがままを見守っていきます。
少し転んだ位では助け船も出しません
しかし、ここは危ないかも?という所では一般人を装って助け船を出すこともある、、、、、

 

勿論、この世の中には震災や自然災害、病気、痛ましい事故、残虐な事件もあります。
守護霊がいるならば、なぜこのような危険な場面を回避し、助け船を出してくれないのか?という感想があることも本音だと思います。
私もそのような本音もある部分では持っています。
そして、このような危険な状況とどうして出会う人がいて、色々なケ-スがあるのだろう?など、ニュースなどを観ていていつも思ってしまいます。

何か見えていない繋がりがあるのだろうか? あるいは、自分では気づいていない何かがあるのだろうか? などと、、、、、

ただ、今回のテーマのはじめてのおつかいという意味では、

 

おつかいの内容をしっかりと果たす

ことが目標ではなく

おつかいを最後までやり遂げる

 

ということが大きな目標であり、テーマです。
はじめてのおつかいで買ってきた物が違う、数が足りない、などの理由で子どもを怒る親はいないと思います、、、、、
そして、はじめてのおつかいをやり遂げたことで子どもを褒めてあげるのではないかと思います、、、、、

 

そして、私はこのおつかいに出す親御さんというのが、先ほどの一生入れ替わることのない主たる守護霊と重なって思えることがこの番組を通して感じ入ることがあります。
親御さんというのは、血縁に限らず親代わりの人なども同様です。
そして、おつかいの道中を撮影しサポートしているこの番組内のスタッフの方々が、時折入れ替わりもする他の守護霊と重なるように感じ入ります。

 

そして、何度もおつかいに出して、何度も同じ失敗を犯してしまう時には、それに気づかせるように時には叱咤激励することもあるでしょう。
それは、その子どものことを思って、あえて手を差し伸べす、転ばせるということもあるかもしれません、、、、、

 

先日の北海道における子どもの置き去りについても、山中であるという場所はともかく、言う事を聞かない子どもに対して、今のままならば置いていくよ、というケースは比較的多くあり得るのでは?と思っています。
真相は分かりませんが、そのような事の全てが心理的虐待と判断されてしまうと、あまりにも過保護に繋がってしまうのでは?と懸念も感じてしまう所もあります。
全ては、

 

どのような思いから出ているのか?

 

が大切な判断基準なのかもしれません。
そして、このはじめてのおつかいという番組内では、

 

子どもは究極的には安全

 

です。
なぜなら、

 

常に見守られている

 

からです。
繰り返しですが、先ほどの自然災害や残虐な事件などについては私も分かりません。
しかし、

 

常に一人で不安に苛まれている

 

ように日々を過ごすよりは、

 

常に見守られている、、、、、かも?

 

という心持ちで日々を過ごす方が人生はスムーズに進んで行くのかもしれません、、、、、
なぜなら、

 

見守られているという安心感が心に余裕を産み出す

 

からです。
余裕がないとパニック感で普段出来ることも出来なくなってしまうことも多々あります。
勿論、現実的に人と人との寄り添いや支え合いも大切なことですし、確かな力になっていきます。

自分は一人だ、と塞ぎ込みたくなるような気分の際は、守護霊という存在もあるかも?そして、私を見守ってくれているかも?という気分の切り換えを行ってみてはいかがでしょうか、、、、、