正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動 ~多数派を装っていないかという自問自答~

第90回:『 正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動 ~多数派を装っていないかという自問自答~ 』
【 参照キーワード:正論、常識、ルール、社会的暗示 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

先日来、プロ野球の複数の球団において、自らの試合に関して金銭の授受を行っていたとのニュースが流れています。
賭博や賭けとまではいかないとの法的な見解もあるようですが、意見も様々に分かれている模様です。

 

私自身を振り返ると、過去に賭け行為を行ったことがないと言えば「嘘」になります。
そのような自分自身も振り返りながら、今回のケ-スを自分なりの「クリティカル・ファキュリティー(判断のフィルター)」(これに関しましては2016年2月25日の第87回目のTOPICS『 伝言ゲームとクリティカル・ファキュリティー(判断のフィルター) 』も参考になります)を通すと、まずは好ましくない行いであることを認識し、そして反省し、同じような行為を他のケースでも行っていないかを検証し、そして、二度と同じことをしない、というのが一解決方法でもあるのかなぁと考えています。

今回のような、金銭の授受に関する行為は、

 

好ましくない

 

というのは大方の意見でもあろうかと思います。
そこで、今回のテーマ「正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動 ~多数派を装っていないかという自問自答~」です。

今回のケースにおいて、「好ましくない」というのは「正論」です。
そして、「正論」に対しては、

 

反論の余地がない

 

という側面が含まれています。
ところで、このTOPICSでも度々取り上げている題材に、「図書館戦争」(有川 浩:角川文庫)という小説が登場しています(一つには2015年10月9日の第67回目のTOPICS『 図書館戦争とニュートリノ(素粒子)』などもございます)。
この小説の中の一節に、以下のようなセリフがあります。

 

『 正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。 お前が使ってるのはどっちだ? 』(本文から引用)

 

小説の前後関係がないので分かりにくいかもしれませんが、皆さんはどのように感じるでしょうか?
10人いれば10通りの解釈があることでしょう。

「正論」には、

 

相手を打ち負かしてしまう

 

という側面もあります。
よく「グウの音も出ない」という表現が使われることもあります。

確かに「正論」は正しいです。
しかし、「正論」を武器にするのは、相手を「打ち負かしてしまう」という結果に繋がってしまう怖れもあります。
つまり、「正論」を持ち出す時に、

 

あなたは相手をどうしたいのか?

 

という視点を考える必要があるということです。
「正論」を使って「打ち負かしたい」のか? あるいは、「正論」を諭して、相手に少しでも「良くなって欲しい」のか?
正論を振りかざす」「正論を吐く」という使われ方もしますが、どちらの表現も「威圧的」な印象を感じるのは私だけでしょうか?

そして、ある意味ここからが今回のテーマの本質です。
このような「正論」の中には、

 

「一部の常識」が含まれている

 

ということです。
この「一部の常識」とは、

 

ある目的(利益など)の元に、自らの見解に賛同を得ようと「多数派を装う」

 

ということです。
「常識」というのは「多数派」であるという前提が必要になります。
なぜなら、ある見解に多くの支持がないと、「常識」になり得ないからです。
つまり、