第67回:『 図書館戦争とニュートリノ(素粒子) 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

今回は「図書館戦争とニュートリノ(素粒子)」というテーマでお伝えしていきたいと思います。
「図書館戦争」と「ニュートリノ(素粒子)」では、全く繋がりも脈絡もなく感じるかもしれません。
では、このテーマから何が紡ぎ出されるのか進めて行きたいと思います。

 

「図書館戦争」(有川 浩:角川文庫)については、2014年10月24日のTOPICS「小説「鹿の王」」でも少し触れていますが、先日、TVにて特別版とサブ・ストーリーのドラマが放映されていました。
また、来週から最新版の映画も公開されるとのことです。

 

この「図書館戦争」は「思想・言論の自由」を守るということが大きなテーマとなっています。
権力者側にとって都合の悪い思想や言論は全て取り締まりの対象となってしまう、とても息苦しい世界が舞台となっています。

 

ところで、先日、「ニュートリノ(素粒子)」が質量を持つことを証明したことで、ノーベル物理学賞の受賞のニュースも流れていました。
「ニュートリノ(素粒子)」は私達の肉眼の目には映りませんが、私達の身の周りの至る所に溢れている物質です。
そして、この物質は1秒間に約1兆個もの数が、私達の体を透過しています。
つまり、私達が意識している、意識していないに関わらず、この目に見えない物質は、私達の体を常に貫通し続けているということです。

 

そして、今回の発見により、今現在通用していると思われている現代物理学の根本・前提の見直しを迫られる理論が証明されました。
つまり、従来の枠組みでは、もう捉えきれない現象が証明されたということです。

 

では、何がこの発見に繋がったのでしょうか?

 

それは、証明する以前に、このような現象もあり得るかも?という「発想」の転換があったことと思います。
言い換えれば、「大胆な仮説」と言えるかもしれません。
そして、この「大胆な仮説」を証明しようとして、「スーパーカミオカンデ」という装置が作られていきました。

 

そこで、「図書館戦争」では「思想」を守ることがキーワードです。
今回の「ニュートリノ(素粒子)」では「発想」がキーワードです。
「思想」と「発想」では違いがあるのでしょうか?

 

「思想」は「生き方」や「哲学」、場合によっては何か宗教的な感じや、オカルト的な響きを感じる方もいるかもしれません。
一方、「発想」は「アイディア」や「着眼点」といった印象を持たれるかもしれません。

 

しかし、「思想」は「想い」に「思い」を馳せることです。
そして、「発想」は同じ「想い」を「表現」することです。
思想も発想も「想い」は同じです。

 

つまり、「思想」が弾圧されるということは「発想」が弾圧されるということです。
自由な「思想」が認められるとは、自由な「発想」が認められるということです。
そして、自由な「発想」が認められているため、今回のような素晴らしい「発見」に繋がったことと思います。

 

もうお分かりかもしれませんが、「発見」とは、「想い」が目に「見える」形になった現象です。
「見える」という現象が「表現」されたということです。

 

話は変わりますが、私が行政書士の仕事をしていた時、事務所の内外でも色々な会議がありました。