正論 ≦ 一部の常識 ≦ 行動 ~多数派を装っていないかという自問自答~

多数派を装った「一部の常識」が存在する

 

ということになります。
私達は「常識」と呼ばれていることに関して、あまり深くは考えたりする傾向はありません
なぜなら、

 

多くの人が支持しているのは「正論」だから

 

と、「無意識ながら判断」しているからです。
「常識」の一側面は「社会的暗示」でもあります。
勿論、社会生活を進めていく上で、一定の「常識やルール」というのは必要です。
そして、「無意識ながら判断している」ということは、

 

無意識ながらその「常識」に沿った「行動」をしている

 

ということに繋がっていきます。
少しネガティブな言い回しでは「長い物に巻かれよ」という表現もあります。

 

カウンセリングなどを行っていると、このような「一部の常識」に捕らわれて悩んでいる方も見受けられます。
つまり、「一部の常識」に捕らわれ悩んでいるという背景には、

 

自分自身の「正論」とは違う

 

という意識がハッキリと存在しています。
しかし、「常識」であると受け入れてしまっているがために、

 

違うと感じるのは、私が変なのでは?

 

と考えてしまっているケースがあるということです。
私達は自分一人で存在し、生活を送っている訳ではないので、他者を尊重するという意味合いにおいても、必要な「常識やルール」があることは先に述べた通りです。
しかし、「一部の常識」には、「多数派を装った」見解も存在することから、「常識」というものに悩まされている時は、

 

自分を見つめ、そして、自分自身の「正論」に自信が持てる時は、自分を尊重してみて下さい。

 

そして、身の周りの「一部の常識」に気づいたら、

 

自分自身が「正論」を「武器」として使っていないか?

 

を考えてみて下さい。
このようなことを意識することにより、生きやすさを感じたり、あるいは、人間関係が良好になっていくかもしれません、、、、、

 

ちなみに、これも先日来、TVコメンテーターなどとして活躍していた経営コンサルタントの方が、「経歴詐称」ということで活動を自粛するといったことが報道されています。
私はこの方を批判もしませんが、擁護・弁解することもありません。

この方の中には、おそらく、

 

学歴がなければ、自分の発言に説得力を持たせられない

 

との考えがあったのかもしれません。
表現を変えれば、「学歴」という「一部の常識・社会的暗示」を素直に受け入れてしまっていたのかもしれません。
先ほど、「自分自身の「正論」に自信が持てる時は、自分を尊重してみて下さい」とお伝えしました。

この方も学歴があろうとなかろうと、

 

「今」発言していること、そして、「行動」に自信を持っていれば、、、、、

 

学歴に頼る必要はなかったのかもしれません。
そして、「過去を偽る」ということは、

 

自分自身を愛せていなかった、、、、、

 

のかもしれません、、、、、

 

※ カウンセリング等をご検討の際には、私が登録相談員をしております以下のリンク先も参考になります。

☆ カウンセリング.COM

☆ 心理カウンセラー.COM

☆ アメブロ版はこちら