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「美味しんぼ」というメタファ-(物語)から考える「おもてなし」

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

この夏も、色々な所に観光などに出掛けられた方々も多いかもしれませんね。
また、これから少し涼しくなってくる頃合いに合わせて、どこかに行ってみようと考えている方もいらっしゃる事でしょう。
そして、最近では、観光立国・立県などが叫ばれて?いる状況でもありますし、東京オリンピックなども関係している事と思われます。
そこで今回は「「美味しんぼ」というメタファ-(物語)から考える「おもてなし」」というテ-マをお届け致します。
なお、「おもてなし」には無数の側面がありますし、どれが良くて何が悪いなどは基本的には無いという点と、是非を述べている訳ではございませんので、その点をご了承頂ければ幸いです!

 

ところで、「おもてなし」とは若干ニュアンスが違うかもしれませんが、私も東京で行政書士の仕事をしていた際は、いわゆる「接待」を受ける事もありましたし、「接待」を設ける機会もそれなりに体験しました。
今でもお酒を飲みながら色々なお話をしたりするのは好きですが、皆さんもお持ちかと思われる「イメ-ジとしての接待」は、当時からあまり得意な方ではありませんでした(苦笑)

 

「接待」を受けるも設けるも、緊張するという意味ではありませんが、どちらかと言えばざっくばらんな雰囲気の方が好きなので、そのように感じるのかもしれませんが・・・
また、特に当時は仕事柄という面の気を遣って頂いて?「瀬川先生」と呼ばれる事も多くありましたが、出来るだけ「瀬川さん」と呼んで頂けるようにしておりましたし、今でも相手の方に失礼にならないように「先生ではなく瀬川さんの方が気が楽です(笑)」とお伝えしております!

 

また、そのような意味からも、いわゆる「おもてなし」というのは、私自身が今だにあまり得意ではない事から、今回はこのTOPICSでも幾度かご紹介しております「美味しんぼ」からの「第31巻:鍋対決」のスト-リ-の手を借りて参りますので、皆さんの自由な発想で考えてみて下さい!
では、メタファ-という物語の始まりです!

 

主人公の山岡士郎と、その父である海原雄山との間で、究極のメニュ-と至高のメニュ-との対決が繰り広げられていました。
そのある回で、日本ではこれだけ数多くある鍋料理の中で、何が一番美味しいのかの話になり、今回の対決の題材が「鍋料理」に決まりました。
そこで、雄山は山岡に挑発を仕掛けていきます。

 

『 鍋料理はそれぞれの地域の郷土自慢でもある・・・

ある地域の人間に、別の地域の鍋料理を・・・

これこそが究極とか至高とか言ったらどうなるか・・・

自分達の愛する鍋料理以外のものが・・・

究極とか至高とか言われて、果たして納得するだろうか・・・?(不快感は残るだろうが・・・) 』

 

と。
山岡は勝負を受けて立ったは良いが、様々な人が、自分なりの愛着のある多種多様な鍋料理を持っている事を思い知らされ、迷いの中に入っていきます・・・
既に鍋料理では色々な調味料も材料も出し尽くされており、そして、何より、

 

鍋で煮るという料理法も同じであるし・・・

 

と。
そのような中、とある一人の老人がお茶会をするのを見届ける機会が山岡に訪れました。
何を隠そう、この老人は、天下の奇人であると同時に稀代の茶人・・・大わびの本物の茶人・・・丿貫(へちかん)先生でした。
そして、そのお茶会というのが、いわゆるホ-ムレスの方々との寒空の橋の下で行われた交流でした。
それを陰から見ていた山岡達は、

 

相手の人間の社会的な地位なんか目に映らない・・・

自由自在、一切の虚飾なし・・・

(ホ-ムレスの方々と)何のわだかまりもなく、楽しげにお茶を飲む、自由で柔らかな心・・・

お茶を振る舞う人、振る舞われる人、両方の心が自然に一つになっている・・・

 

と感じ、別の機会に丿貫先生のお茶をご馳走になろうとご自宅に赴きました。
そして、そこで振る舞われたのは、お湯を沸かす為のお釜で焚いた塩のみのお粥や、特別で高価なものとは真逆の器で進ぜられたお茶など・・・何もかも八方破れで形式や作法に捕らわれるものではありませんでした。

 

このような「おもてなし」を受けた山岡は、たかがお茶じゃないか・・・たかが鍋じゃないか・・・と思い至り、誰でも簡単に手に入り、しかも安価な材料を使い、薬味も様々に用意し、各人の好きなように食べて貰い、「ご馳走」になる人の心に負担を掛けない為の、

 

万(よろず)鍋

 

を対決の場に出しました。
しかし・・・海原雄山は『これがもてなしの心とは笑止千万!』と言って、一蹴します。
そして、海原雄山が提供した鍋料理・・・それは・・・

 

〇 スッポン鍋
〇 フグチリ
〇 アワビのシャブシャブ
〇 ハモとマツタケの鍋
〇 (松葉)カニ鍋

 

という、至高の五大鍋でした。
しかも、この5つは、上から1番などの「順位付け」という意味ではなく、それぞれが最高の何もかもが「突き抜けた」料理でした。
そして、この五大鍋で使われる食材は、それはそれは、入手するのも難しく、とても高価なものでもありました・・・
そして、実は、この五大鍋は山岡も全て知っており、アワビのシャブシャブに至っては自分(山岡)が考案した料理でもありました・・・

 

ところで、この対決の場には、特別審査員として、先ほどの丿貫先生が招待されていました。
そして、この対決を見通した丿貫先生は、次のように自身の意見を述べていきます・・・

 

『 簡単に言えば、私は海原さんの料理(の方)が好きだ・・・

山岡君の料理より、ずっと素直だ・・・ 』

 

しかし、山岡は、この丿貫先生の言葉に対し、このような高価な材料を使い、しかも素人には料理出来ないような鍋が・・・何故、至高であるのか?・・・を理解出来ずにいました。
そして、丿貫先生は言葉を続けます・・・

 

『 仏心の前では、マツタケもシイタケも松葉ガニも豚のひき肉も同じ・・・

高いの安いの言うのは市場の原理・・・仏の目には皆同じ・・・

お二人(山岡と同僚の栗田)は、もてなす心と、相手に気に入られようと媚びを売る気持ちとを、取り違えたのではないかな・・・

あれもこれもと取り揃え、(万鍋)は誰の趣味にも合うように出来ているが、もてなされる方はうんざりする・・・

それはお二人の心が見えないからだ・・・ 』

 

と伝え、一方の海原雄山の料理に対しては、次のように言葉を続けていきます・・・

 

『 一方、海原さんの料理は単純明快、これ以上のものがない美味しい鍋料理を食べさせてやりたい、その心がみなぎっている・・・

カニはこうして食べるのが一番旨いという信念が溢れている・・・

(材料を台無しにしない為の)緊張感がシンと張り詰め・・・全ての材料に対する愛情と配慮が万全で・・・

海原さんの心映えの作った世界(鍋料理)だ・・・ 』

 

そして、

 

『 その海原さんの世界を見せられて、さあ、どうぞと招かれる・・・

そこには、一切の媚びがない・・・

自分の裸の心まで広々と開いて、そこに招いてくれる・・・

それが真のもてなしだ・・・ 』

 

そして、勝負は海原雄山の圧勝に終わりました・・・
では、このスト-リ-はこれでお終いです!

ところで、2015年6月25日のTOPICS「東京オリンピック」においては、次のような紹介もしております。
「ご馳走」の本来の意味としては、

 

お客様を「おもてなし」するために、

その家の主人が、新鮮な食材や旬の食材などを求めて、

「走り回る」ことです。

 

と。
実は、これも「美味しんぼ」からのメタファ-です(笑)
「おもてなし」には本来、決まった形式がある訳でもありませんし、是非という問題でもありません。
私自身も同様ですが、「おもてなし」の際には、多少の「八方美人」的な要素(思い)が含まれているのも、ある意味自然な部分もあります(笑)
そのような意味からも、今回のメタファ-を通して、皆さんなりの「おもてなし」を考える材料としてみて下さい!
そして、ここには、「おもてなし」のみならず、私達の日常生活・・・お仕事、人間関係、コミュニケ-ションなど・・・様々に当てはめる事が出来る要素も含まれております。
なぜなら、

 

「おもてなし」をする際には、自分(の心)を知る(見つめる)

そして、

「おもてなし」を受ける際には、相手(の心)を知る(見つめる)

 

という側面に光が強く当てられるからです。
そして、このような、それぞれの事例やケ-スの違いはあるにせよ、様々な側面というのには、どこか一つの「源」に繋がっている・・・という面も楽しんで探してみて下さい(笑)

 

そして、少し余談ですが、先日ニュ-スを観ていたら、青森県の民泊事業者の届け出が低調で、全国的にも下位の方であるとの話題が流れていました。
確かに、青森県内のお祭りの時期などは宿泊施設が充分ではないとのお話も耳にする事はあります。
ただ、このニュ-スを観た時、何か「短命県返上」の際によく話題にされる、

 

(他県などとの)順位付けや競争?

 

と同じような「臭(にお)い」を私個人としては感じました・・・

また、近頃では「カジノ法案」(統合型リゾ-ト(IR)推進法案と呼ばれる事もありますが・・・)が決議されました。
私も以前はパチンコや麻雀をしていましたし、海外のカジノに行った事もありますので、いわゆるギャンブルをする方のお気持ちも理解は出来ます。
また、自分のお小遣いの範囲内(かつ合法)であれば、ギャンブルをするもしないも、その人の自由なので構わないとも思います。
ただ、

 

真のおもてなしとは・・・

全てを相手の気に入るようにするものなのか・・・?

はたまた、

自らの何かを犠牲にして奉仕をするものなのか・・・?

 

そして、

 

仮に、そのようなおもてなしを受けた相手は、本当に心の底から満足するものなのか・・・?

 

という視点も、今回のテ-マと併せて考えてみて下さい。
勿論、善悪や正否を問うものでもありませんので、どのような意見や感想などをお持ちでもそれで良いと思います(笑)
そして、スピリチュアルな余談として、国内・国外に限らず、どこかに自分の心が惹かれる場所があるとすれば、それは・・・

 

前世からの名残

 

というケ-スも考えられます(笑)
とすれば、

 

「来世」の為の「今の」おもてなし

 

という視点を取り入れ、「来世」でお世話になるかもしれない新しい場所に行ってみたり、あるいは、「来世」では住んで貰いたいなどの受け入れる側の発想の拡充にも活用出来る?かもしれません(笑)
中には、「来世」では日本(地球)には生まれて来たくない!?と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが(笑)

2018年8月25日 02:08

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