トップページ » 宗教という社会事象から ~マインドコントロ-ル(洗脳)を含め~

宗教という社会事象から ~マインドコントロ-ル(洗脳)を含め~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、私はよく観ていませんが、最近はある女優さんと、ある宗教団体、そして、その女優さんの所属事務所との関係が社会的な話題になっている模様です。
宗教に関する話題というのは、個人の内面との関係性などからデリケ-トなテ-マでもあり、また、時にはタブ-視されがちな観点でもあります。
また、このような芸能界などにおける宗教との関係の話題は数年に幾度のペ-スで見受けられますし、私も行政書士をしていた頃には、似たような類いの相談を受けたこともあります。
もしかしたら、皆さんの知人や周りでも同じようなことが問題になったこともあるかもしれません。
そこで、今回は「宗教という社会事象から ~マインドコントロ-ル(洗脳)を含め~」というテ-マでお伝え致します。
なお、今回のTOPICSのテ-マは特に私の個人的な視点や考えであり、ここでの内容が正しいというものでもありません。
どうぞ皆さんご自身なりの「考えて気づき判断する」という視点を持ってお読み頂ければと思います。

 

まず、私自身は基本的に無宗教です。
また、ヒプノセラピ-(催眠療法)やレイキ ヒ-リングなどは何かの宗教と関連があるのでは?と思われがちでもありますので、まずはどちらも全くの無関係であることを簡単にご説明致します。

まず、ヒプノセラピ-もレイキ ヒ-リングも諸外国においては医療保険の適用対象となっている国もあります。
そして、ヒプノセラピ-は医師以外の者が行ってはならないなどの一定の制限や医療行為と見なされている地域もあります。
また、レイキ ヒ-リングも実際に大学病院等で活用されている地域もありますし、看護学校における履修科目とされている所もあります。
このような観点からも、どちらも宗教とは全く無関係であることをご理解頂けるかと思います。

 

そこで、先ほど私は「基本的に」無宗教とお伝えしました。
なぜ「基本的に」とお伝えしたかと言うと、私の実家にはお仏壇もありますし、お墓もあります。
私もお仏壇に手を合わせたり、お墓参りにも行きます。
また、初詣でや厄払いのように神社にも行ったりします。
ただ、私の場合にはこのようなことは特段の信仰心というものから派生している訳ではありません。
小さい頃からの日本の一種の慣習・風習という捉え方をしています。
この点はいわゆる「日本人的」な考えから多くの方にも当てはまっているケ-スと同様かもしれません。

 

ところで、宗教というのは個人の信条・信仰と捉えることも出来ますが、言わば、人それぞれの「心の内」の問題ということです。
そして、この「心の内」というのは本来は全くの「自由」です。
不適切な例えですが、例えば、傷付けたい位に憎んでいる相手がいる人もいらっしゃるかもしれません。
実際にこれを行動に移すと犯罪にもなり、行ってはならないことですが、「心の内」で憎む分には「自由」ということになります。
なお、「自由」ではありますが、このような憎しみという感情を「心の内」に持ち続けることによる、自分の心身への影響というのは別に考える必要性があることも申し添えておきます。

 

日本においては仏教(お寺)や神道(神社)などがどちらかと言えば慣れ親しんでいるケ-スが多いかと思われますが、他にも様々な宗教団体は存在しています。
私は個人的には「心の内は自由」と考えていますので、それぞれの人がご自身なりに考え判断し、そして、自分に責任を持って信仰を行うことは構わないと思っています。
しかし、中には、本来の目的から外れたり逸れてしまっている団体、あるいは、信仰というものを名目上の理由としながら、実は、他に別の目的を持っている団体も残念ながら存在しています。

 

そして、宗教という信仰に進むに至った理由も人それぞれ様々あるかと思います。
とても辛く苦しい出来事があったのかもしれませんし、自分で自分をコントロ-ル出来そうにないという恐怖などを感じたなどのケ-スもあるかもしれません。
そのような状況の時に出逢った人や、何かの信条・信仰により救われたという気持ちから、信仰心を強めて入信というケ-スもあることかと思います。
そして、そのような出逢いなどを契機として、人生を前向きに歩めるようになったのであれば、それはそれで素晴らしいことかと思います。

 

そして、そのように自分が救われたという経験から省みて、とても素敵な信仰なので他の人にも広めたい、という思いが湧くのも分からないではありません。
また、組織や団体としての規模が拡大するにつれて、経済的な観点からも多くの入信者を募るという流れになっていくのも、ある意味当然の流れかもしれません。
ここまでは、一般的にもよくある勧誘の流れでもあることと思います。

しかし、ここから一線を越えた所で問題の発端となっていくのが、

 

「過度の行き過ぎた」勧誘や教義の押し付け

 

という点があるように感じます。
この「過度の行き過ぎた」という点を実際の行動として別の角度から見ると、

 

他の人を支配し、コントロ-ルしたいという欲望

 

に繋がっていることがあります。
そして、この他の人を支配し、コントロ-ルしたいという欲望の裏側には、

 

無意識の中に、自分は弱い人間である

 

という「心の内」を抱えていることもよくあります。
つまり、自分は弱い人間であるということを克服しようとし、強い人間であるということを自覚する一つとして、

 

他の人を従わせる

 

という現れ方になっているということです。
これを別の比喩で表現すると、自分の中の心の闇を減らすために、

 

周りの人や他の人の心の闇を深くさせる

 

とも言えます。
つまり、自分の周囲の人の心の闇を深く濃い状態にすれば、

 

自分の中の心の闇が薄く、時には光を発しているという錯覚を引き起こさせる

 

ということです。
そして、支配やコントロ-ルという観点からはマインドコントロ-ル(洗脳)ということもよく取り上げられます。
色々な諸説や見解はありますが、ここで今一度マインドコントロ-ル(洗脳)の定義をお伝えします。

 

① 慣れない(特殊な)環境下におく
② 眠れないようにする(たくさん話しかけるなど)
③ 従わなければ苦痛を与える
④ 従えばご褒美を与える
⑤ (それらのことにより)体内(脳)の生理的バランスを崩させる

このようなことが行われることにより、その人がどのような状態になるかと言うと、

 

意識的・無意識的を問わず、自分で「考えて気づき判断する」という行為が行えなくなる

 

ということです。
そして、このマインドコントロ-ル(洗脳)の定義は、宗教団体に限らず、また、大小の違いはあれど、行き過ぎたワンマン経営などのブラック企業の体質、過剰な権力の集中、そして、国家などにも当てはまります。
戦時中の日本を思い返してみても当てはまることと思います。

 

信条や信仰心は自由で大切なものですし、その対象が何であれ、私達のほとんどは何かを信仰しているとも言えます。
何も信じないというのも信条の現れですし、例えば食費を減らしてでも欲しい物があるなども同じ本質です。
また、誰かに憧れ、誰かを尊敬し、その人から多くのことを学び、自分も立派になりたいなど、その人を「真似る」ということも役に立ち素敵な思いであることと思います。
しかし、

 

その人と同じになる必要はないし、同じにはなり得ない

 

ということは意識しておく必要性があるかと思います。
なぜなら、全てをその人と同じようになろうと思うことは、その根底には、

 

自分で「考えて気づき判断する」という力を手放している(預けてしまっている)

 

という状態と同じだからです。
そして、この「考えて気づき判断する」という力を失うということは、言わば「理性で考える」ということが出来ていない状態とも言えます。
冒頭の女優さんのケ-スでも、意に反した仕事をさせられたり、あるいは、給料に不満があったり、なども一つの理由となっていると伝えられています。
また、それにより仕事を途中で放棄することによる賠償責任の問題なども出ているとのことですが、他にも理由はあることと思いますが、少なくとも理由の一つを解決するには労働基準法や民民間の契約内容という法的な点と、今回のような「出家」するかどうかという点は、区別して冷静な対応が双方に必要だと感じます。

 

宗教や信仰というテ-マは「心の内」の問題であるからこそ、慎重に、そして、理性を持って冷静にという観点も必要になってくるかと思います。
そして、そのような点を判断する一つの指針として、宗教団体であれ、いわゆるブラック企業であれ、当の本人が自分で「考えて気づき判断する」という状況を奪われていないか?という所にも着目してみて下さい。
そして、私自身の個人的な解釈ですが、本来の宗教における趣旨とは、自分で「考えて気づき判断する」という観点から見ても、

 

その人が本来の自分自身であること

 

を促すようなものであると考えています。

そして、今は入試が盛んに行われている時期でもあります。
特にこの春に新たに大学生となる方の中には、新しい土地や新しい人々との出逢いが待っていることと思います。
私が通っていた大学は、全国各地から学生が集まっているのと、とても多くの学生が入学していました。
当時も4月になると様々なサ-クルなどの団体が新入生を勧誘していました。
そして、そのようなサ-クル団体の中には、一見するとテニスサ-クルなどのように見せかけて、実は、他の別な団体へ誘い込むためのカモフラ-ジュとしての団体も存在していました。

 

また、私は野球サ-クルに入っていましたが、大学1年の時に合宿(という名の遊び)で千葉に行くことになりました。
そして、先輩が車に乗せて連れてってくれるとのことで、同乗して千葉に向かっていました。
ところが途中で渋滞が続き、その渋滞箇所は地下鉄の沿線沿いでした。
何だろうと先輩達と話しながら見ていると、その沿線沿いは救急車や消防・警察の車両でとても混み合っていました。

 

そうです・・・オウム真理教による地下鉄サリン事件がその場で発生していました。
当時の私は東京都の中野区という所に住んでいましたので、先輩が同乗させてくれると言って貰えてなければ、被害路線である丸の内線を使って千葉に向かっていたかもしれません。

 

このような犯罪は決して起こしてはならないものですし、また、極度に怯えすぎていては外出もままならなくなってしまいます。
私が通っていた大学にもオウム真理教に関係するサ-クルがあったと伝え聞いていました。
自らの預かり知らぬ所でこのような関連のサ-クル団体などと関わりをもってしまうこともあるかもしれません。

 

少しでも変だ・怪しいと思った時は、自ら「考えて気づき判断する」ということを思い起こし、周りの人にも色々聞いたりしながら、関係性を絶つためにも、毅然とした態度でそのようなサ-クル団体から抜け、その後も関わりを持たないようにして下さい。
そして、全てではありませんが、このような団体は、最初はとても過剰な位に良くもてなしてくれる・・・という点が見受けられるように思います。

 

なお、繰り返しますが、今回のテ-マにおいては、宗教団体や信仰心・入信・出家などの是非を取り上げている訳ではありません。
困っている人の助けになる宗教団体もあることでしょうし、そこでの信条を胸に抱え、堂々と自分の人生を歩んでいけることは素晴らしい姿勢であることと思います。
しかしながら、中には、危険な宗教団体や、宗教に限らず様々な団体もあることを頭の片隅にでも入れておいて下さい。

 

ちなみに、冒頭の女優さんの件ですが、私はここで出て来る宗教団体には興味もありませんし、肯定もする気もありませんが、もし、この女優さんが「出家」する先の宗教団体が、仮に高野山や比叡山などのように歴史的な背景もあり、知名度・信頼度もある宗教団体であったとするならば、今のような混乱した状況になっていたのでしょうか?・・・あるいは、何かしらの世間の反応というのも変わっていたのでしょうか?・・・という観点からも考えてみると、あなたの中の宗教に対する現在のイメ-ジを把握するのに役立つかもしれません。

2017年2月22日 04:02

«

»

TOPへ戻る

新着投稿

過去の投稿


プライバシーポリシー

当サイトのご利用規約

サイトの詳細につきましては上記のご利用規約をご確認ください。

当サイトはリンクフリーではありません。
事前の連絡と許可審査が必要です。

スマートフォン、タブレットで読み取ってください

先頭へ