宗教という社会事象から ~マインドコントロール(洗脳)を含め~

そして、そのように自分が救われたという経験から省みて、とても素敵な信仰なので他の人にも広めたい、という思いが湧くのも分からないではありません。
また、組織や団体としての規模が拡大するにつれて、経済的な観点からも多くの入信者を募るという流れになっていくのも、ある意味当然の流れかもしれません。
ここまでは、一般的にもよくある勧誘の流れでもあることと思います。

しかし、ここから一線を越えた所で問題の発端となっていくのが、

 

「過度の行き過ぎた」勧誘や教義の押し付け

 

という点があるように感じます。
この「過度の行き過ぎた」という点を実際の行動として別の角度から見ると、

 

他の人を支配し、コントロールしたいという欲望

 

に繋がっていることがあります。
そして、この他の人を支配し、コントロールしたいという欲望の裏側には、

 

無意識の中に、自分は弱い人間である

 

という「心の内」を抱えていることもよくあります。
つまり、自分は弱い人間であるということを克服しようとし、強い人間であるということを自覚する一つとして、

 

他の人を従わせる

 

という現れ方になっているということです。
これを別の比喩で表現すると、自分の中の心の闇を減らすために、

 

周りの人や他の人の心の闇を深くさせる

 

とも言えます。
つまり、自分の周囲の人の心の闇を深く濃い状態にすれば、

 

自分の中の心の闇が薄く、時には光を発しているという錯覚を引き起こさせる

 

ということです。
そして、支配やコントロールという観点からはマインドコントロール(洗脳)ということもよく取り上げられます。
色々な諸説や見解はありますが、ここで今一度マインドコントロール(洗脳)の定義をお伝えします。

 

① 慣れない(特殊な)環境下におく
② 眠れないようにする(たくさん話しかけるなど)
③ 従わなければ苦痛を与える
④ 従えばご褒美を与える
⑤ (それらのことにより)体内(脳)の生理的バランスを崩させる

 

このようなことが行われることにより、その人がどのような状態になるかと言うと、

 

意識的・無意識的を問わず、自分で「考えて気づき判断する」という行為が行えなくなる

 

ということです。
そして、このマインドコントロール(洗脳)の定義は、宗教団体に限らず、また、大小の違いはあれど、行き過ぎたワンマン経営などのブラック企業の体質、過剰な権力の集中、そして、国家などにも当てはまります
戦時中の日本を思い返してみても当てはまることと思います。

 

信条や信仰心は自由で大切なものですし、その対象が何であれ、私達のほとんどは何かを信仰しているとも言えます。
何も信じないというのも信条の現れですし、例えば食費を減らしてでも欲しい物があるなども同じ本質です。
また、誰かに憧れ、誰かを尊敬し、その人から多くのことを学び、自分も立派になりたいなど、その人を「真似る」ということも役に立ち素敵な思いであることと思います。
しかし、

 

その人と同じになる必要はないし、同じにはなり得ない

 

ということは意識しておく必要性があるかと思います。
なぜなら、全てをその人と同じようになろうと思うことは、その根底には、