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二者択一からの飛翔

こんばんわ。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

連続して発生していた台風もこの頃では落ち着きを見せているようですが、10月中旬という季節にも関わらず夏日を観測する地域などもあるとのことで、自然の流れに抗うことは出来ませんが、服装の調節などで快適な季節にしたいものですね。

 

ところで、私が中学や高校の頃だったと思いますが、その当時「究極の選択」という遊びが一時流行していた時期がありました。
今から思えば究極のネガティブな発想の遊びと感じますが、その頃はあまり気にも留めていませんでした。
内容はどちらを選択しても本人にとってはネガティブな決断をせざるを得ないというものですが、見方を変えればどちらの選択をして妥協するのかという捉え方も出来ます。

 

今ではTVドラマなどでも見かけなくなりましたが、その当時の恋愛ドラマなどでは、彼女が彼氏に対して、
「仕事と私とどっちが大事?」
などの問いかけも「究極の選択」に近いものがあったかもしれません。
そこで、今回は「二者択一からの飛翔」というテ-マでお届け致します。

 

そして、今回のテ-マを進めるに当たり、今までもこのTOPICSにおいて何度か登場頂いた「鶏が先か?卵が先か?」という論争?に手伝って貰いたいと思います。
そこで、この「鶏が先か?卵が先か?」を今一度おさらいしてみたいと思います。

 

鶏が産まれてくる状況としては、卵から孵化する必要性があります。
まず、卵として産み育てて貰いながら、その後、殻を破って鶏として成長していきます。
そうして成長した鶏は自分でも卵を産み、その卵から孵化した鶏がさらに卵を産み育てていくという、言わば、

 

生命の連鎖

 

が出来上がっていきます。
そして、この論争の種となっているのは、

 

では、一番最初に誕生した鶏は「誰が卵を産み育てたのか?」

 

という点です。
鶏が卵から孵化するという意味では、必ずその卵を産み育てる親鶏の存在が必要になります。
しかし、最初の1羽目となる子鶏の親は誰なのか?という論争です。

 

皆さんも一度は考えたことがあるかもしれませんが、今一度考えてみると、どのように感じるでしょうか?
どのような意見でも構いませんが、理論や理屈の上ではこの問いに答えは出てこないと思います。
また、鶏でなくても亀でも他の動物でも構いません。
勿論、人間の誕生として捉えてみることも出来ることでしょう。

 

そこで、今回のテ-マの「二者択一からの飛翔」に登場願います。
なお、これから先述べることは、あくまでこのTOPICSを書き連ねていく上での私の勝手な突拍子もない論法ですので、現在の所、根拠は一切ありません。
では、この「鶏が先か?卵が先か?」の論争に終止符を打ってみたいと思います。
その答えは、

 

一番最初の鶏の誕生に際しては、鶏も卵も、どちらも同時に存在していた

 

という結論です。
しかし、一番最初の鶏の誕生時に、すでに鶏たる親鶏が存在しているのはおかしい!と思われることと思います。
理論や理屈の上ではそのような意見になるのは至極当然です。

 

ところで、私達の大部分は「時間」は過去から未来へ一直線に流れ、「空間」は今私達が存在しているこの場だけに存在する、と考えているという前提があります。
このような前提の元では、「鶏が先か?卵が先か?」という論争に終止符は打てません。
なぜなら、このような前提の元では、終止符が打てないというのが正解になるからです。

 

しかし、実際の所は、「時間」は過去から未来へ一直線に流れている、あるいは、「空間」とは複数存在するものではなく今この場が全てである、という前提も科学的に証明されているものではありません。
もしかしたら、真相は違うかもしれない?という所が今回の「飛翔」のポイントです。

 

そのような意味から、私達は間違った前提、あるいは、そうではないかと思わされている前提、で物事を捉えている可能性もあるかもしれません。
今回の「鶏が先か?卵が先か?」の論争も、「どちらが先か?」という点のみに焦点が集約されてしまいますが、「どちらも同時に存在していた」と捉えるならば答えが出たことになります。

「時間」が一直線ではなく変化するもの、そして「空間」が複数存在しうるもの、との前提で考えるならば、「どちらも同時に存在していた」という前提は理論や理屈の上でも成り立つからです。

 

ダ-ウィンの進化論というのは、皆さんも一度は耳にしたことがあるかと思います。
単純に表現すれば、人間は猿から進化した、という論評です。
現在ではこの説はあまり支持されていない模様ですが、確かに人間に進化しつつあるお猿さんにお目にかかったことは私はありません。
動物園などで飼育されている猿などが人間と接することで、いわゆる「知能」あるいは「智恵」というものを僅かながら獲得していくことはあるのでしょうが、それでも猿は猿という存在に思えます。

人間も同様に、ある環境下でも生き残っていけるよう適応能力が増えていくことはありうることと思います。
しかし、それでも人間は人間という存在に思えます。

 

生命が一度誕生すると、先ほど触れたように「生命の連鎖」が起こり繁栄されていくのが自然の流れなのかもしれません。
しかし、植物にせよ、動物にせよ、あるいは人間にせよ、「生命の誕生時」には、もしかしたら今回の様な「同時に存在していた」という現象が起こっているのかもしれません。
人間の誕生で言えば、最初の一人(あるいは二人)が誕生した際は、それ以前の時点で男性と女性が既に同時に存在していたという結論になります。
そのような意味では、この男性と女性というのは人間であって人間ではないという生命誕生の不可思議と言えるかもしれません、、、、、
かと言って、別に神や仏ということを持ち出したい訳でもありません。

 

そして、今回はこのような小難しい屁理屈のような内容をお伝えしたい訳でも勿論ありません。
テ-マは「飛翔」です。
私達が思い悩み抜いている時、もしかしたら、間違った前提、あるいは、そのように思い込まされている前提、もっと要約すると、自分が創り上げ、そして、信じ込んでいる「固定観念」に縛られて身動きが出来ない状態にあるケ-スもあるかもしれません。

天才的催眠療法家と言われているミルトン・エリクソン氏は以下の言葉を伝えています。

 

クライアントは誤ったメンタルセット(固定観念)を持っていて、視点が限られているがためにクライアントである

 

と。
今回の「鶏が先か?卵が先か?」を書き連ねてくる際に活用した「時間」や「空間」の概念も、どちらも科学的に証明されているものではないですし、言わば、このTOPICSを進めていくための一種の私なりの方便として活用しました。
時間は一直線的で空間も今この場にしかないのが正解かもしれませんし、そうではない可能性もあるかもしれません。

 

先のエリクソン氏が伝えている「視点が限られているがために」という点を打破するのが「飛翔」というメタファ-(隠喩)です。
視点を増やすため、あるいは、多角的な視点を獲得するには、色々な情報や知識なども勿論有効です。
しかし、方法はその他にも様々あります。
その方法の一つとして、もし可能であるならば、

 

あなたと正反対の人、あなたと意見が合わない人、極端に言えばあなたが嫌いな人

 

の意見や考えを聞いてみて下さい。
その意見や考えを必ずしも取り入れる必要性はありません。
あなたの考えや意見に沿った選択と決断で構いません。

 

しかし先の、正反対、意見が合わない、嫌いな人の中には、あなた自身が気付けていない「視点」を持っている可能性が多分にあります。

 

子どもが欲しくても授からないなどの理由で悩んでいる方々も多数いらっしゃるかもしれません。
このようなケ-スでも選択というのがキ-ワ-ドになっている側面もあります。

・子どもを諦めるか諦めないか
・諦めないならばどのような治療などを検討するか、あるいは現状の自然なままを継続するか
・諦める諦めないという以前に、(血縁という意味での)自分の子どもに限定するのか、あるいは養子や里親などの制度を活用するか、、、、、

 

など様々考えられることと思います。
二者択一の一つを選択したことで、また新たな二者択一になることもあるでしょうし、逆に、三者四者と選択肢が増えていくこともあることと思います。
繰り返しますが、今回のキ-ワ-ドは「飛翔」です。
そして、この「飛翔」とはメタファ-(隠喩)です。
どのようにイメ-ジしても、どのような捉え方をしても全くの自由ですし、「飛翔」という言葉にこだわらず「舞い上がる」など、何でも構いません。
あなたが選択し決断することがあなたの人生における答えとなります。
何かに迷った際は「飛翔」というメタファ-(隠喩)を思い浮かべ、自由に連想してみて下さい。

 

そして、ここから先は余談(というよりもとても大切なこと)ですが、このTOPICSを考えていた際に、あるニュ-スが流れていました。
それは、先日青森県内の中学生の女子生徒さんがイジメを原因とし自殺をしたこととの関連ですが、この女子生徒さんが自殺をする前に、あるお祭りに参加していたそうです。
そして、そのお祭りの模様を写真コンテストとして開催したところ、この女子生徒さんが笑顔で踊っている写真が入賞候補になったそうです。
そこで、ご遺族の方々に入賞候補になっていることなどをお伝えし、内諾を取ることなどをしたそうです。
ここまでは、ある意味当然のことで問題はないと思います。

しかし、主催者側は最終的には入賞を取り消す判断をしたとのことです。
その理由は、

 

お祭りの写真としてふさわしくないから

 

と報道されていました。
まず、自殺は決して行ってはならない行動です。
そして、おそらくいかなる理由にせよ、この女子生徒さんの写真が入賞する、あるいは入賞させないという選択では、いずれの選択をしたにせよ賛否両論が起こったことと思われます。
そして、今回の決定に際して、女子生徒さんのお父様はインタビュ-に対し、残念なこととして受け止めながら、主催者側が面倒なことに巻き込まれたくなかったのでしょう、とコメントしていました。

 

自殺をしたからお祭りの写真としてふさわしくないのでしょうか?
仮に、その後に事故やご病気などで亡くなった場合ならば、お祭りの写真としても問題ないと判断するのでしょうか?

 

その他にも入賞を取り消す判断の理由があったのかもしれません。
市民の皆さんなどからの反響が多数あったとのことで、主催者側が明日記者会見を開いて説明するそうです。
どのような説明になるのかは、このTOPICSを書いている「今」の時点では分かりません、、、、、
しかし、その写真が素敵な写真として入賞候補として判断された理由には、

 

その女子生徒さん自身の本質、笑顔で踊っている素敵な瞬間が表現されている

 

と判断されたからなのではないのでしょうか?
おそらく、このお祭り当日も女子生徒さんの胸中には色々な思いが乱れ飛んでいたことと思います。
しかし、ほんの一時と言えど、そのような「笑顔の瞬間」が存在していたことも素敵な真実であり、その女子生徒さんの人生の一部・証であると思います。

 

イジメ防止対策として色々な試みが現在も行われています。
そのような試みにも効果はあるでしょうし、是非、効果を現して欲しいとも思います。
しかし、もし今回の報道のように、「お祭りの写真としてふさわしくない」との理由のみで大人の側・社会の側が判断を下しているのであれば、現在イジメに遭っている子どもさん、あるいは大人の中でもイジメに遭っている方々はどのように思うでしょうか?感じ入るでしょうか?

 

先程来「飛翔」というメタファ-(隠喩)をお伝えしていますが、この中には選択・決断の前提となる「思いや動機」も含まれています。
私は主催者側の判断を一方的に非難している訳ではありません。
子どものイジメという問題には、大人や社会の体質が反映されていることがよくあります。
そして、子ども時代のイジメの体験が大人になってからも社会で反映し続けている側面も否定出来ません。
先ほどの「鶏が先か?卵が先か?」になぞらえるならば、大人の社会にイジメがあるから子どものコミュニティ-にもイジメが発生する、と私は感じています。
つまり、イジメは大人が先、ということです。

難しい問題ではありますがとても大切な問題であり、現在イジメに遭われている方々にとっては一刻の猶予もない深刻な問題でもあります。
「飛翔」というあなたの中の想像力を活用して、そして、あなたに出来る範囲で構いませんので一考してみて下さい。

2016年10月18日 09:10

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