韓国の光州事件に学ぶ「隣の芝生は青い」の真意 ~「戦い」と「闘い」の違いも~

【 贖罪意識も糧になる 】

実は、イ・ハンニョルは光州市で育ち、14歳の時に光州事件が起こりました。

現場の光景を見た母は、息子(イ・ハンニョル)には絶対に見せてはならないと決め、部屋から出さないようにしました。

 

光州事件から7年後、ソウルオリンピックを翌年に控え、イ・ハンニョルは大学生になり、学生達の間で軍事政権への批判が高まりを見せていました。

この時、「大統領」に就任していたのがクーデターを率いた、先ほどのチョン・ドファンです。

しかし、チョン・ドファンは市民が求める「大統領選」を拒否していた事で、学生達の運動に繋がりました。

 

 

光州事件を目の当たりにした母は、息子に「デモには表立って参加しないように」と伝えました。

しかし、イ・ハンニョルはデモの「先頭に立って行動」し始めました。

 

なぜなら、イ・ハンニョルが学生運動に参加し始めた時、光州事件の犠牲者の墓地を訪れた事で、子どもまでもが犠牲になっていた事に、強いショックを受けたからです。

その時の「想い」を、イ・ハンニョルは以下の作文に残しました、、、

 

イ・ハンニョルの作文:
『 血の抗争が終わった6月初旬、僕は何も考えずに自然を満喫していた。 無風地帯で、自らを忘れたまま生きてきた日々が恥ずかしい。 』

 

つまり、イ・ハンニョルは地元で起きた光州事件を深く知らなかった事に「贖罪意識」を抱いたのが、学生運動に参加した「真の動機」でした、、、

 

 

ところで、TOPICSでは「不幸に陥る」3つの原因が、

 

自己憐憫・共依存・責任転嫁

 

と伝えています。

そして、イ・ハンニョルが抱いた贖罪意識は自己憐憫と似ていますが、

 

贖罪意識を「糧にして」実践した

 

というポジティブな活用に結び付けたのも事実でしょう。

 

そして、イ・ハンニョルは同時に「怒り」も抱いた事でしょう。

そして、

 

怒りには莫大なエネルギーがある

 

というのも、事実であり真実です。

 

しかし、怒りのエネルギーは、

 

最終的には自分に向けられる

 

というのも、事実であり真実です。

 

 

故に、これもTOPICSで幾度も伝えている、

 

調和とバランス

 

を意識する事が、大切で必要になります。

 

【 選択と決断に悔やむ母 】

イ・ハンニョルの死により、「再び」市民が立ち上がりますが、その多くが光州事件の時に「学生(若者)だった」市民でした。

民主化運動は韓国全土に広がり、軍事政権が初めて言論の自由の保障を認め、大統領選も行われる事になりました。

こうして、1987年に《 6・29民主化宣言 》が発出されました。

 

この民主化宣言を見る事なく、6月15日にイ・ハンニョルは亡くなりましたが、ソウルの大通りに百万人が集まって葬儀が執り行われました。

言わば、韓国の民主化実現の「英雄」になったイ・ハンニョルですが、母は息子が死んだのは「自分の責任」と悔いを抱き続けています、、、

 

母:
『 光州事件の時、部屋から出られないようにしたのが間違いでした。 あの時、ちゃんと見せておけば良かったんです。 』

 

 

ところで、「百聞は一見にしかず」「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もあります。

親心として「見せたくない」場面や状況があるのも理解出来ます。

また、「見せる」としても、子ども心に耐えられるのか???なども、同時に考慮に入れる必要性があります。

 

故に、これもTOPICSで幾度も伝えている、

 

他者の経験に想像力を加味して学ぶ

 

という事が役立ちます。

勿論、他者の経験には小説、映画、ドラマ、音楽、絵画など、様々なものが含まれます。

 

そして、光州事件に話を戻すと、元少佐のシン・スンヨンも、また、「勇気」を持って現場から逃げたイ・キョンナムも、

 

「今は」光州事件(同種の事件)を二度と繰り返さない為に・・・

それぞれで出来る事に取り組んでいる・・・

 

という日々を「実践」しています、、、

 

 

では、番組の紹介はここで終了し、締め括ります!

ちなみに、光州事件を描いたのが、韓国映画の『 タクシー運転手 ~約束は海を越えて~ 』です!