【 3日目に起こった悲劇の引き金 】
光州事件の現場は、市内随一の繁華街のクムナム通りです。
軍は通りにいた市民に話も聞かず、いきなり鎮圧棒で殴り付け、反抗的な態度を取ると「集団」で暴行を加え、18日の一日だけで400人以上が逮捕されました。
19日、2、000人の市民が通りに集まり、「不穏な空気」が漂い始めます。
そして、その日の午後、学生達の怒りが沸点に達し、石や火炎瓶が飛び交い攻防が激化します。
軍は1、000人以上の兵を増員し、戦車まで持ち出して「強硬手段」で容赦なく鎮圧しました。
20日、更に数万人もの市民が通りに集まり、「声を上げ」始めます。
その日の午後3時、軍は市民への「説明や話し合い」もせずに、突如として催涙ガスを発射しました。
そして、軍に抵抗する市民は北朝鮮に煽動された共産主義者と「見做し」、女性も老人も関係なく鎮圧しました。
しかし、夕暮れになると市民はバスやタクシー200台を先頭に持ち出し、軍に抵抗を始めます。
そして、数万人に上る市民もそれに続きました。
その日の晩、軍の一つの部隊が光州駅に陣取り、そこに市民が乗ったトラックがやって来て、トラックを制止しようとした兵が轢かれました。
すると、他の兵がトラックを射撃し、運転手と一人の市民を射殺しました。
その現場にいた指揮官の一人が、空挺部隊の元少佐シン・スンヨンです。
そして、シン・スンヨンは当時を「振り返り」、次の通り話します、、、
シン・スンヨン:
『 あの日の夜、憲兵隊が私達に実弾を支給しました。 私達は全く予測していませんでした。 まさか、そんな事態が起きるなんて。 』
ところで、TOPICSでは「群集(群衆)心理」も幾度も取り上げ、
一定の理性から皆で「協力する」事と・・・
過度な感情で「群れる」事は全く違う・・・
と伝えています。
そして、ここ十数年来の日本でも、
「理由(なぜなら~)」が説明される事もなく・・・
そのような「指摘は当たらない」・・・
という言動が繰り返され続けています。
しかも、「当初は」政府(政治家)で顕著に見られた傾向が、「今や」民間企業でも見受けられます。
政治にせよ企業にせよ、発表するのは経営陣等の「上役」です。
果たして、「現場の声」が反映された上での発言なのでしょうか、、、
【 引き起こされた最大の悲劇 】
21日、軍が市民を射殺した「事実」が明らかになり、最大の悲劇が起こります、、、
市民の怒りは治まる事なく、更に軍は3、000人以上の兵を動員しました。
午後1時になると軍は「愛国歌」を流し、市民を一斉射撃しました。
これにより、少なくとも市民の54人が死亡、500人以上が負傷し、兵にも犠牲者が出ました。
すると、市民は「市民軍」を結成し、銃を手に取って「戦い」始めます。
この時、市民軍へ銃を調達したのが、カク・ヒソンです。
警察官も既に避難していた為、もぬけの殻となった警察署から銃を調達しました。
更に、市民も「兵役経験者」が多いので、「若者」に銃の扱い方を教えます。
カク・ヒソンはその時の事を、次の通り話します、、、
カク・ヒソン:
『 市民の遺体が多くなるにつれ、死についての怖さも無くなりました。 死ぬ事は大した事じゃない。 自分の死を怖れなくなったんです。 』
そして、市民は団結し、軍を追い出す事に成功しました。
更に、この時の市民運動が、次第に国の民主化運動へ「展開」していきます、、、
ところで、ここ迄の内容で「戦い」と「闘い」の二種類の言葉が出て来ました!!!
「話し言葉」では、どらも同じ「たたかい」になります。
しかし、「書き言葉」として眺めた時には、どうでしょうか???
言葉には、
ニュアンスが含まれている
のが事実であり真実です。
コミュニケーションのトラブルの一つの要因には、ニュアンス(違い)も含まれます。
故に、先ほどの理由の説明も含め、
より丁寧を心掛ける
という事が大切で必要です。
そして、「言葉足らず」には、人それぞれの語彙力や表現力なども関係しますが、
手間を惜しむ
という事も、トラブルの要因の一つです。
ちなみに、次の項目でも「戦う」と「闘う」が出て来ます!