対立する意見に光明を見出すには ~ビタミン発見の経緯から~

一方、東京大学出身者で《 占められている 》陸軍軍医部は森が強く押す細菌説の支持を《 前面に打ち出し 》、更にその支持を《 強固なものにする為に 》森に細菌説の説明を求め、ドイツにいた森は論文を書き上げそれに応えますが、その内容というのが『 自分は東洋と西洋の両方の食事を知っており、日本の主食たる白米は心身を活発化(強靱化)させるものであり、その点において西洋の食事と全く異なるものでは無い 』と《 根拠を示す事なく 》主張しました。

つまり、食事を変える必要性など毛頭無く、今のままで良いと《 言い張った 》という事になりますが、更にこの論文では脚気の原因について森は《 自らの考えにすら 》一切触れず書かず終(じま)いでいました。
そして3年後に帰国した森は講演会で高木の事を西洋かぶれであるかの如く《 一方的に揶揄し攻撃し 》始めます、、、

そして、1889年にようやく森は白米の食事に問題は無いと証明する為に陸軍兵食試験というのを実施しますが、これは兵士18人を6人ずつの3つのグループに分け、それぞれに白米中心・麦飯中心・パンと肉中心の食事を8日間与え続け、食べた物と排泄された量を調べ、どれ位の栄養素が体に吸収されたかを計算するというものでした。
そして、実験の結果として1番優れているのが白米、次が麦飯、パンと肉は3番目と結論付け、海軍軍医としての高木が唱える栄養欠陥説を《 真っ向から否定 》していきました。

 

が、しかし、高木は森の主張に反対の声を上げず、それ以後は科学の表舞台から退きますが、《 一方で 》高木の書いた論文は海外の研究者に広く読まれるようになり、後のビタミンの発見に向けて《 重要な役割 》を果たす事になっていきます、、、

そして、以後も陸軍は森の《 言うがままに 》白米を支給し続け、先程の陸軍兵食試験や高木を表舞台から去らせたなどの《 功績(!?) 》により森は更なる出世街道を歩んで行き、1890年に小説「舞姫」を発表し《 更なる名声 》を世間から買っていく事となりました。

そして、それから4年後の1894年に日清戦争が勃発しますが、この時も開戦前に森は陸軍軍医部に向け白米を主食とする価値はとても絶大で高く、おかずなどはほとんど必要ないと《 強く説き伏せて 》いきました。
《 その結果 》陸軍では戦争による死者が450人であったのに対し、脚気による死者は4、000人という事態を招くに至りました。

そして森は日清戦争の直後に台湾総督府陸軍局軍医部長に任命され、台湾での兵士の健康管理に当たっていきますが、その台湾で脚気が大発生し、兵士23、338人に対し、脚気患者が21、087人となり、2、000人以上の兵士が死亡するという事態を《 更に引き起こし 》ました。

 

一方、同じ日清戦争で海軍は麦飯の支給を続けており、海軍の脚気患者は僅か34人であり、かつ、いずれも軽症という結果であった事から、海軍は陸軍を批判し《 メンツ 》を賭けた「陸軍VS海軍」という《 対立構造 》となり、海軍は脚気は食べ物を変える事で予防可能と主張するのに対し、陸軍は《 匿名 》での投書などの手法を用い、海軍を非科学的と《 罵倒 》し、明治28年発行の「東京医事新譜」では次のようなやり取りが記録されています。

陸軍:
『 病気を予防し治療する為には病原や病気になる仕組みが分からなければいけない。 我々が最も信用している帝国医科大学(現在の東京大学医学部)でも分からないのに海軍に分かるのか? 科学的にお答え頂きたい。 』

海軍:
『 天然痘も病理は不明だが百年も前にジェンナーによって予防法が確立している。 脚気も同じ事で原因の究明と予防法を混同してはいけない 』

 

が、しかし、当の陸軍の現場の兵士からも麦飯の支給を要望する声が増えていく一方で、陸軍軍医部は《 一切聞く耳を持たず(耳を貸さず) 》、断固として兵士の要望の声を《 拒否し続け 》ました。
そこに森も《 加担し 》海軍の理論は誤りがあり根拠も乏しいものであると、陸軍軍医部を《 擁護する 》論文を発表しました。

そして1904年に今度は日露戦争が勃発し、この時の森は第二軍軍医部長(階級:軍医監)という軍医部では階級ナンバー2として従軍しました。
そのような《 権力の中枢 》に居座り続けている森に対し、戦地の《 最前線にいる 》軍医からは麦飯を支給すべきではとの進言がありましたが、森はこれを《 黙殺 》しました、、、

その翌年に日露戦争は終結しましたが、この時も陸軍全体の脚気患者は25万人に上り、その内の27、468人が死亡したのに対し、同じ日露戦争の海軍での脚気による死亡者は僅か3人であり、このような陸軍に対し《 世間から非難の声 》が上がり陸軍軍医部のトップは辞任に追い込まれましたが、変わってそのトップの地位に就いたのが《 またしても 》森でした、、、