対立する意見に光明を見出すには ~ビタミン発見の経緯から~

そして、これこそ余談中の余談になりますが、宇宙戦艦ヤマトの最後は《 元は 》地球人であった異星人が水の惑星(アクエリアス)を《 恣意的にコントロール 》して地球に大洪水をもたらし、それにより地球人類を滅亡させる事を企てますが、これを阻止する為にヤマトはアクエリアスに内在されているトリチウムをヤマト内部に大量に取り込み、そして最後にヤマト自身を自らで《 自爆(自滅) 》させ、アクエリアスからの水(大洪水)の噴出を遮断するというものです、、、

と、ここでキッパリとお断り申し上げますが、私は「陰謀論者」などでは全くございませんし、医学や科学等の視点も大切にしておりますのと、他の国々の主張の元になっているような「政治的思惑」とも全くの無関係であり、この余談(独り言)でお話した内容は私なりに《 ニュートラル(中立) 》な姿勢を保った上でのものになりますので(笑)

 

では、今回活用する素材の『 フランケンシュタインの誘惑 』(NHK BSプレミアム)という番組から「ビタミン × 戦争 × 森鴎外」の回を少し眺めて参ります!

明治期の日本では脚気(かっけ)が大流行し年間で約3万人が死亡したりなど、結核と並ぶ国民病として恐れられていました。
この脚気の原因は《 今では 》ビタミンB1の欠乏と判明していますが、ビタミンは人体の機能を維持する為に必要不可欠な栄養素でありながらも体内で作る事が出来ず、食べ物から得なければなりません。
そして《 当時では 》世界中でもビタミンは《 まだ知られていない 》未知の栄養素でもありました。

故に、脚気の原因についても《 憶測を含め様々な言説が流布 》されていましたが、例えばドイツ人医師のベルツ細菌が原因との説を唱えていましたが、主食が白米ではないヨーロッパでは脚気そのものが存在していなかった事が、この細菌説が唱えられた理由の一つと考えられています。
そして当時の日本では富国強兵政策が採られており、また軍隊では兵士の食事にビタミンB1がほとんど含まれていない白米のみが支給されていました。
そして、陸軍・海軍の兵士の約4割が脚気患者となっていきます、、、

 

ところで、小説「舞姫」で有名な森 鴎外という人物がおりますが、彼の本名は森 林太郎であり、陸軍の軍医をしていました。
森は医師の家に生まれ5歳で論語を読み、8歳でオランダ語、10歳でドイツ語を学び、僅か11歳で第一大学区医学校(後の東京大学医学部予科)に入学し、史上最年少の19歳で卒業し陸軍軍医となりました。

このように成績優秀でもあったが故に、陸軍軍医部の幹部連は海外の最新医学を学ばせる為に森を留学させますが、留学先の当時のドイツでは細菌学が最先端の分野であり、更に医師であり細菌学者のロベルト・コッホにより炭疽菌・結核菌・コレラ菌などの発見が相次いでいたなどの背景も加わり、こうした状況から森は細菌学の影響を強く受けると同時に、一方で海外の学会では日本は遅れていると揶揄された事などにより、森の反骨心!?敵愾心!?などが高まっていき、森はエリート意識がとても高く、日本の命運は自分が背負っている(握っている)と感じていたのでは、、、と、後の研究では捉えられています。

 

では、話を脚気に戻していきますが、細菌説を唱えていた先程のベルツは後の東京大学医学部に当たる東京医学校で指導していた事もあり、東大医学部出身者を中心に細菌説がドンドン《 主流 》となっていきました。
そして、この細菌説を固く強く信じていたのが陸軍軍医としての森でしたが、同じように海軍の兵士も脚気に苦しんでいました、、、

そのような折りの1883年(明治16年)、海軍の軍艦の龍驤(りゅうじょう)で乗組員367名の内、半数近くの169名が脚気を患い25名が死亡し航行不能となったという出来事が起こりました。
そして、これに対応したのが海軍軍医高木 兼寛(たかき かねひろ)という人物でした。

しかし、高木は細菌説を支持せず、彼がイギリス留学時代に学んだ疫学に原因を見出そうと試みていました。
この疫学とは病気の発生分布などを元にして(状況や環境などを詳しく観察して)有効な対策に導く学問ですが、当時のロンドンでは伝染病のコレラが蔓延していた所、原因は井戸にあると目を付け、井戸を封鎖する事によりコレラを沈静化させる事に成功していました。

 

そして高木は脚気を患う際の条件(状況や環境など)を《 様々に考え検討して 》いき、2年後に脚気の原因は栄養の偏りにあるのではないかと思い至るようになりました。
と言うのも、白米のみを食べ、おかずをあまり食さない兵士が脚気を発症するケースが多かったという、今で言う所のデータや統計などの傾向から、そのような結論を見出していきました。

そこで高木は筑波という軍艦を比較実験場として丸ごと活用し、乗組員333名の食事を白米中心の食事から、パンや肉を中心に据えた食事に《 切り替え 》ました。
すると、先程の龍驤と同じ航路を辿ってみたものの、脚気患者は一人も出ませんでした。

そして《 その後の 》海軍では白米ではなく麦飯を導入する事により、僅か数年後には海軍の兵士からの脚気患者の発生はゼロになりました。
そして、高木はこの実験結果を論文にまとめ、脚気は栄養欠陥が原因であると発表しますが、ただ、この時の高木もビタミンという栄養素には《 まだ 》気づいていませんでした。