魂の視点から考える死刑制度 ~負の感情が憑依を呼ぶイタチごっこ~

では、少し視点を変化させていきますが、このTOPICSでも幾度か取り上げた事があるシルバーバーチという存在!?がおります。
ご存じ無い方の為に簡単な紹介ですが、シルバーバーチとは1920年頃から霊媒(ミディアム)のモーリス・バーバネルという人物の《 口を借りて 》様々なメッセージを伝えてきた存在であり、今から約3千年前に地上での生活を送っていたという事だけが知らされており、その他の性別や姓名などの質問を受けても一切答えませんでした。

その理由をシルバーバーチは以下のように述べております、、、

 

【 シルバーバーチの言 】:

それを知ってどうしようというのですか。
人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。
もしも私が歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことに一段と箔(はく)がつくと思われるのでしょうが、それは非常にたちの悪い錯覚です。

前世で私が王様であろうと召使いであろうと、大富豪であろうと奴隷であろうと、そんなことはどうでもよろしい。

私の述べていることに、なるほどと納得がいったら真理として信じてください。
そんなばかなと思われたら、どうぞ拒否してください。
それでいいのです。

 

と、このように述べておりますが、シルバーバーチが一貫して言い続けた事として、

 

《 誰が 》語っている(伝えている)かではなく・・・

語られる(伝えられる)《 内容 》に目を向けなさい・・・

 

とのものがあります。

では、ここでシルバーバーチが死刑制度について質問された時の返答について、『 シルバーバーチのスピリチュアルな生き方 Q&A 』(ハート出版)からご紹介してみます!
ちなみに、シルバーバーチに著作権!?があるのかどうかは分かりませんが、それでも書籍という形で存在しておりますので《 この世の方便 》として著作権法上の引用の範囲内でのお届けです(笑)

 

【 シルバーバーチの言 】:

人を殺した人間だから殺してもよいという理屈は、霊的には通らないということを、これまで私は躊躇することなく申し上げてきました。

地上界の人間は、正義と復讐とを区別しないといけません
復讐心という最低の人間的感情からすれば、憎いやつを地上界から消すことは正義と思えるかもしれませんが、それでは未熟な魂を霊界へ送り込むだけで、それによって成就されるものは何一つありません

 

公正な裁きがなされないといけません。
国による殺人を行なっても、地上界はカケラほども霊的に進化しません。
それどころか「目には目、歯には歯」の復讐の場に堕落してしまいます。
激情が理性を凌駕したところに正義は生まれません。

 

肉体の死後にも生命が存続することは、議論の余地のない事実なのですから、それに基づいた原理・原則を信念としなければなりません。
死後の生活に何の準備もしていない者が、次々と地上界から送られてくるために、こちらでは面倒なことがますます増えています。
なかには、冤罪(えんざい)によって処刑されているケースや、不当な刑を受けているケースもあります。

 

生命は神聖なものであり、人間が与えたり奪ったりすべきものではありません。
生命は物質から創造されるのではありません。
物質が生命によって創造され、維持されているのです。

 

生命は霊的なものであり、大霊を始原としており、神性を帯びているのです。
ですから、生命とその物的顕現を扱うときは、最高の慈悲心と思いやりと同情心をもってのぞむべきです。
そして、動機は間違っていないかを確認することを忘れないでください。

 

死刑制度では、問題は何一つ解決しません
罪を犯した人のことを思いやる心こそが、摂理を成就させるのです。
いかなる方法をとるにせよ、更生を促進するものであるべきで、決して復讐心を生み出すようなものであってはなりません。

 

と、このように述べておりますが、シルバーバーチは(特に堕落した一部の)地上での宗教などには全く関心を寄せておりませんのと、ここでの大霊や神性というのは、私達人間が勝手に!?想像やイメージしてしまいがちな姿形を持ったいわゆる神様などの存在とは全く違うものですので(笑)