冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート7~:西洋故事からの温故知新

《 言葉は思うところをいつわるために人間に与えられた 》

『 モリエールは〖 しいられた結婚 〗で、パンクラス博士に「言葉は思うところを表現するために人間に与えられた。 言葉の心の代弁者であり、魂の姿である」といわせているが、十八世紀の政治家タレイランはこれをもじって、「言葉は思うところをいつわるために人間に与えられた。 ある連中にいわせると、思うところをかくす助けをさせるためでもある」といった。

  このタレイランにはモンロンという性悪のふところ刀がおり、きわめて人情の機微に通じていて、いろいろの忠告をしたらしい。

 

  たとえば、「最初の衝動には警戒しなさい。 最初の衝動は善良なものなのだから」とか、「なにかうれしいことが起こったら、必ず友人たちに知らせなさい、彼らに苦痛を味わわせるために」など。

  だから、「思うところをいつわる」とつくりかえたのも、そのモンロンの入れ知恵だろうといわれる。

 

  しかし、ヴォルテールの〖 去勢鶏と若い牝鶏 〗という哲学的対話のなかにも、去勢鶏が人間を批評して、「彼らは自分らの不正を権威づけるためにのみ思考をつかう。 そして、言葉はその思考をいつわるためにしか用いない」とある。

  ぼくのように口から出まかせにしゃべる人間からみると、まさに達人の芸というべきである! 』

 

人間 》に向けて、かなり痛烈な皮肉が込められている話のようにも見受けられますが、数年前の「ご飯論法」であったり、「詭弁」や「嘘」など、政治家を始め《 大の大人 》がこのような事に手を染めてしまっている現状が後を絶ちません。
そしてTOPICSでは、

 

思い・言葉・行動の一貫性を保つのが大切

 

と伝え続けておりますが、『 言葉はその思考をいつわるために 』との箇所を眺めた際に、

 

思考をいつわろうとするために言葉を使おうとの・・・

その思考は一体全体どこから出ているのか(生まれているのか)・・・???

 

という「鶏が先か卵が先か」のような話にも似通ってきますが、これはTOPICSで繰り返しお伝えしております、

 

最も問われるのは真の動機!!!

 

と同じ意味になるという事です!

そして1つ目の話では『 この夫婦はその後もコミュニケーションをし続けていた事から・・・まだマシな方かもしれない・・・ 』とコメント致しましたが、コミュニケーションが取れているように思えれば、それで万事良しという訳でもありません。
これが、

 

コミュニケーションにおいてトラブルになりがちなのは・・・

意見の相違などではなく・・・

お互いに敢えてコミュニケーションを避けている隙間(話題)に・・・

 

という意味になります!

では、最後の3つ目に入って行きます!