《 雄つぐみと雌つぐみの話 》
『 周期的に、しかもつねに同じ問題でおこる、くだらない喧嘩のことをいう。
ラルースの〖 十九世紀大辞典 〗によると、この文句の由来は、古い寓話時代にさかのぼるらしい。
ひとりの農夫が守護の聖者のお祭を祝おうと思って、つぐみを五、六羽あみでとらえて帰ってきて、細君にこういった。
「おい、カトリーヌ、雄つぐみをもってきたから、夕飯のおカズにうまく料理してくれよ」
すると、細君、その鳥を一目見て、「あら、これが雄つぐみなの。 あんたなにも知らないのね、これは雌つぐみじゃないの」
それで、はげしい問答になった。
「いや、おれはたしかに雄つぐみだと思うよ」
「雌つぐみだわよ、フランソワ、雌つぐみにちがいないわよ」
「いや、雄つぐみだ。 はっきりいっとくがな。 おい、カトリーヌ、お前はなぐられたくて、背中がむずむずしてるのか。 雄つぐみなんだから、雄つぐみだっていえよ」
「いいえ、フランソワ、あんたがいくらこわい眼でにらんで、おどかし文句をならべても、あたし平ちゃらよ! これは間違いなしに雌つぐみなんだから、あたしは誰がなんてったって、雌つぐみだっていうわ! 取り消しなんかしないわよ!」
亭主はかんかんに腹を立て、「よし、そんなら、目に物みせてくれるぞ!」と叫んだ。
そして、太い棒をもってきて、強情っぱりの細君の背中をどやしつけはじめた。
しかし、細君はいくらなぐられても「雌つぐみだわよ、フランソワ、雌つぐみだわよ!」といいはってきかなかった。
亭主の棒はいつまでも舞ぎねのようにおどったが、亭主は細君をなますのように打ちくだいてしまうのをおそれ、ついに棒打ちをやめた。
喧嘩はこれで一応しずまり、雄つぐみも雌つぐみも一年のあいだは安泰だった。
しかし、守護の聖者のお祭りがまためぐってきた。
食事のあいだに、カトリーヌは一年まえの活劇を思い出し、亭主にいった。
「もう一年まえになるわね。 あんたのもってきたつぐみが雄だ雌だって喧嘩して、さんざんあたしのことをぶったわね!」
「ありゃ雄だったよ」と、亭主が答えた。
「いいえ、雌だったわよ!」
「いや、たしかに雄だったぞ!」
「いいえ、雌だったわよ!」
そこで、また棒がおどった。
こうして、この夫婦はそれから十七年、フランソワがついに天国へ召されるまで、毎年一回ずつ、雄つぐみと雌つぐみのことで喧嘩をくり返した。 』
まず最初に、暴力(DVや虐待などを含め)は絶対にダメですので!!!
ところで、「売り言葉に買い言葉」との言葉がありますが、ここでは、
感情優位のコミュニケーションになり過ぎている・・・
という理由から喧嘩になる(喧嘩にまで発展してしまう)事がとても多いです。
一方「夫婦喧嘩は犬も食わない」との言葉もありますが、ここに皮肉を込めた視点を当てはめてみると、
犬の方が人間よりよっぽど理性で判断している!?
という事になるかもしれません(笑)
ただ、