冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート7~:西洋故事からの温故知新

《 雄つぐみと雌つぐみの話 》

『 周期的に、しかもつねに同じ問題でおこる、くだらない喧嘩のことをいう。
  ラルースの〖 十九世紀大辞典 〗によると、この文句の由来は、古い寓話時代にさかのぼるらしい。

  ひとりの農夫が守護の聖者のお祭を祝おうと思って、つぐみを五、六羽あみでとらえて帰ってきて、細君にこういった。
  「おい、カトリーヌ、つぐみをもってきたから、夕飯のおカズにうまく料理してくれよ」

  すると、細君、その鳥を一目見て、「あら、これがつぐみなの。 あんたなにも知らないのね、これはつぐみじゃないの」

 

  それで、はげしい問答になった。
  「いや、おれはたしかにつぐみだと思うよ」

  つぐみだわよ、フランソワ、つぐみにちがいないわよ」

  「いや、つぐみだ。 はっきりいっとくがな。 おい、カトリーヌ、お前はなぐられたくて、背中がむずむずしてるのか。 つぐみなんだから、つぐみだっていえよ」

  「いいえ、フランソワ、あんたがいくらこわい眼でにらんで、おどかし文句をならべても、あたし平ちゃらよ! これは間違いなしにつぐみなんだから、あたしは誰がなんてったって、つぐみだっていうわ! 取り消しなんかしないわよ!」

 

  亭主はかんかんに腹を立て、「よし、そんなら、目に物みせてくれるぞ!」と叫んだ。
  そして、太い棒をもってきて、強情っぱりの細君の背中をどやしつけはじめた。

  しかし、細君はいくらなぐられてもつぐみだわよ、フランソワ、つぐみだわよ!」といいはってきかなかった。

  亭主の棒はいつまでも舞ぎねのようにおどったが、亭主は細君をなますのように打ちくだいてしまうのをおそれ、ついに棒打ちをやめた。

  喧嘩はこれで一応しずまり、つぐみもつぐみも一年のあいだは安泰だった。

 

  しかし、守護の聖者のお祭りがまためぐってきた。
  食事のあいだに、カトリーヌは一年まえの活劇を思い出し、亭主にいった。
  「もう一年まえになるわね。 あんたのもってきたつぐみがだって喧嘩して、さんざんあたしのことをぶったわね!」

 

  「ありゃだったよ」と、亭主が答えた。

  「いいえ、だったわよ!」

  「いや、たしかにだったぞ!」

  「いいえ、だったわよ!」

 

  そこで、また棒がおどった。

  こうして、この夫婦はそれから十七年、フランソワがついに天国へ召されるまで、毎年一回ずつ、つぐみとつぐみのことで喧嘩をくり返した。 』

 

まず最初に、暴力(DVや虐待などを含め)は絶対にダメですので!!!
ところで、「売り言葉に買い言葉」との言葉がありますが、ここでは、

 

感情優位のコミュニケーションになり過ぎている・・・

 

という理由から喧嘩になる(喧嘩にまで発展してしまう)事がとても多いです。
一方「夫婦喧嘩は犬も食わない」との言葉もありますが、ここに皮肉を込めた視点を当てはめてみると、

 

犬の方が人間よりよっぽど理性で判断している!?

 

という事になるかもしれません(笑)
ただ、