妖怪から学ぶスピリチュアルなどの様々な視点(笑):後半 ~見えぬものへの尊び~

○ ぬらりひょん
『 夕方、夕飯の支度で忙しい最中(さなか)にどこからともなく現れて家の中に入って来る。 そして勝手にお茶を入れて飲んだりする、これがぬらりひょんという妖怪で、姿は僧のようであったり、商人のようであったりする。 人間の心理の隙を狙うのが巧みである事から、妖怪の総大将と言われるが、定かではない。 』

 

現代では隣近所でのお付き合いが希薄になってはおりますが、昭和の初め頃には長屋なども存在し、そこでは隣近所の人がそれぞれの家に比較的自由に出入りをしていた時代でもあります。

これにより《 社会全体で子どもを育てる 》という事が自然と行われていましたが、近頃の物騒な世の中や社会ではリスクも生じてしまうケースもあります。
更にプライバシーという問題も結び付いて来ます。

これは一言で言えば《 コミュニケーション 》という問題に行き着きますが、《 心と体は繋がって重なっている 》、そして《 (敢えて比較すれば)心が主で体は従 》とTOPICSではお伝えしておりますが、コミュニケーションには《 自分自身とのコミュニケーション 》も含まれます!

 

○ ニューギニアの森の霊
『 僕は一時、妖怪なんていないのではないかと思った事がある。 ニューギニアへ行って祭りの夜にやって来る30数匹の森の精霊を見て、やはり見えないけどいるのだ、彼らはそれを感じてこのような表現をするのだと思った。 』

 

これもコミュニケーション繋がりですが《 (相手の気持ちなどを)推し量る(推察する) 》などは《 多様性の尊重 》に結び付くという面も勿論ですが、コミュニケーションの「隙間」を埋める際にも役立ちます

そして、その上で「相手に確認する」という作業も必要となりますが、このようなコミュニケーションにおいて大切になるのが《 手間を惜しまない 》という事です!

 

○ がしゃどくろ
『 野原で野垂れ死にした人々の恨みが集まって、がしゃどくろという巨大な妖怪になると言う。 がしゃどくろが現れるのは夜で、ガチガチと音を立てながら歩き周り、人を見ると襲いかかる。 』

 

最近では《 同調圧力 》との風潮も高まっていますが、一昔前では「KY(空気を読む・読まない)」などの流行語もありました。

そして、「群集心理(集団心理)」や「集合無意識」というのもありますが、これらは良かれ悪しかれ《 寄せ集められる 》と膨大なパワーを生み出します
現在のコロナワクチン接種に関しても任意(努力義務)であるとされていながらも、未接種では区別(冷遇)されたり、接種済みでは優遇(厚遇)されたりなどもありますが、それ以前の問題として、職場などでは接種を強制される「ワクチンハラスメント(ワクハラ)」も増加しています。

 

夜明け前が一番暗い 》との言葉もありますが、「諦める」の語源は「明らかに究める」です。
そして、究めるには《 (過度な)感情ではなく理性 》の活用が必須になります。

そして、前回の「野衾(のぶすま)」という妖怪でも同じ事をコメントをしておりますが、夜を究めてしまえば《 自ずと新しい朝がやって来る 》という事になります!

 

○ ジャビの精
『 マレーシアの川底の泥の中に住んでいる妖怪で、魚を採りに来た漁師に取り憑いてしまう。 ジャビの精に取り憑かれた人は、熱さと冷たさを同時に感じると言う。 川の魚を守る為に人間に警告を発しているのだろう。 』

 

同じくコロナ禍では感染対策と経済対策のように「水と油」「あちらを立てればこちらが立たず」のような問題に直面しました。

また「二兎を追う者は一兎をも得ず」や、それとは逆の「一挙両得」などの言葉もあります。

『 熱さと冷たさを同時に感じる 』とは感覚的に分かり辛いかもしれませんが、もしかしたら歯医者さんでの麻酔(後)を想像して貰えれば、幾分かは実感として分かりやすくなるかもしれません(笑)

 

ただ、「明るさと暗さ」を同時に感じる事は可能です。
なぜなら、《 一色であれば色の判別は不可能 》だからです。

また、「右」に行きながら「左」に行く事も出来ます。
なぜなら、《 自分の視点を変化させる事で可能 》となるからです。

その為には《 調和とバランス 》や《 塩梅やさじ加減 》が大切で必要となりますが、これも《 感性の麻痺 》に陥っていれば出来なくなります!