今のあなたは大人?子ども? ~子ども時代のヒーロー!?藤子不二雄(氏)から~

幼少期の頃の安孫子さんは体が小さく同級生から、よくからかわれたりしていたそうです。
そして光禅寺というお寺に生まれ、小学校5年生まで住んでおりましたが、そのような同級生によるからかいなどの面もあり、お一人でお寺の中で過ごす時間が多かったとの事です。

 

安孫子さん:
『 小学校1年の時に、クラスで級長が「起立」って言うんですよ、先生が来て。
  そうすると当然、僕も一番前の席で立つじゃない。
  先生が「安孫子、お前は何で立たないんだ」と言うんですよ。
  それで僕が「立っています」と言うとみんなワァーって笑うわけ。

  先生は僕が立っているのを知ってて、わざとそういう事を言うわけ、人気取りで。
  当時やっぱりイジメというのが始まってて、凄く今みたいな陰湿じゃないんですけど、一応ガキ大将がこう(叩いたり)やったりする。

 

僕のあだ名は「電熱器」だったんですよ。
  電熱器ってのは今の若い人はご存じないけど、お湯を沸かす時にニクロム線の渦巻き型の電熱器があってね、これでお湯を沸かしたりするんですよ。
  それのコードを入れるとすぐに赤くならないわけ、じわ~っと(赤く)なるわけ。

  僕、赤面恐怖症でそういう風になるんで、みんなに電熱器、電熱器って(言われて)、それがまた恥ずかしいと言うかね、益々いじけて、ほとんど子どもと付き合わないで、(学校が終わると)すぐ寺(家)へ帰って来て、一人で絵を描いてたんです。

  それがね、何かず~っとこう、何十年か経って、それが後になって「笑ゥせぇるすまん」とか、ああいう漫画を描いた動機になってると思うんですけどね。 』

 

と、ここで「笑ゥせぇるすまん」が出て来ましたが、これは《 ❤ココロのスキマ・・・お埋めします 》との名刺を携えた喪黒福造が主人公の漫画ですが、最初は寂しさや悲しさなどに寄り添いながらも、人の欲望が突き進み過ぎてしまうと『 ドーン 』っと人さし指を向けられ、急所や核心を突かれる!?現実という奈落に突き落とされる!?ような自戒などに直面させられるというものです(笑)

では、この「笑ゥせぇるすまん」に関してのやり取りを少し眺めてみましょう!

 

アナウンサー:どうしてこういう漫画を描こうと思われたんですか?

安孫子さん:
『 何て言うのでしょうねぇ、やっぱり、ずっと子ども漫画を描いてて、自分も30(歳)近くなった時に、子ども漫画というのは自分が童心を持ち続けないと描けないんですよ。
  ところが段々自分が年を取って、色々な事を覚えてくると、描けなくなった時代に「黒ィせぇるすまん」という短編を描いたんですよ。

  あ!この線ならイケると思って、それで子ども漫画をやめて、全部そっちの方向へ行ったんですよ。 』

 

そして、安孫子さんは昔は月曜から金曜まで、サラリーマンのように毎日電車に乗って漫画を描く仕事場に通っていたそうです。

安孫子さん:
『 電車ってのは満員でも何でもいいけど、目の前に色んな人達が、その時しか会えないような人がいるじゃないですか。
  今なら例えば、ほとんど10人いたら10人がスマフォを見てますよ。

  そういうのを観察して、この人はどういう家庭を持って、どういう生活をしてるかって事を考えるのが楽しくて、1時間でも2時間だろうが電車に乗って人の顔を見てると、もの凄く面白い
  その中で特に面白い人がいると、あ!この人はネタになるなぁと思うと、作品に描いていくわけです。

  だから初めから空想じゃないから、読者もリアル感があって、(漫画の世界に)入っている内に別の次元へ飛んで行くっていう、まぁ、ややこしいんですけど(笑) 』

 

アナウンサー:(「笑ゥせぇるすまん」には)所々で「ココロのスキマ = 寂しさを抱えている人」っていう風に表現されているかと思うんですけど。

安孫子さん:
『 ええ、そうですね、まぁ仰る通りで。
  やっぱり誰でもが、あぁ俺は満足だっていう人は一人もいないわけですよ、僕も含めてね。

  何か知らないけど、何かもっといい事はないかとかね、面白い事はないかとかいつも思ってるけど、現実の生活はそんなに上手くいくわけないんでね、そういう意味の心の隙間って言ったわけで。 』