拡大自殺を魂の視点から考えてみる ~自己憐憫と共依存からの感性の麻痺に陥らない~

まず、一つ目は、いわゆる、

 

TPO(Time:時間、Place:場所、Occasion:場合)の「境目」を・・・

自分は判別出来ているかどうか・・・

 

という事があります。
これが、かなり適当になっていたり、いい加減になり過ぎている場合では「自分を見失っている」という可能性があります。
言葉を変えれば「(場の)空気を読む」との表現も可能ではありますが、これも「忖度」とは全く「本質」は違いますので、その点は重々に「自分自身を注視」する事が必要になります。

それと、この「自分を見失っている」という程度が度を超して来ると、「一時的な記憶の欠落」などの症状が出るケースもありますので、この点も頭の片隅にでも入れて置いてみて下さい。

なお、TPOに応じた振る舞いなどでは、例えば発達障がいなどのケースでは難しい場面もありますのと、認知症などにおける記憶の曖昧さや不正確さなどは含まれませんので、この点も併せてご理解下さい。

そして、二つ目は、

 

過度な感情の揺れ動き(振れ幅)になっていないか・・・

 

という点はこれ迄にもお伝えしておりますが、それと同時に、

 

100%の理性を活用出来ている・・・

 

「感じる」場合も同様に注意が必要になります。
これは比率などの問題ではありませんが、

 

100%との「思い込み」が過ぎていると同時に・・・

「傲慢」な姿勢に結び付いていく怖れがある(つまり、「隙間」を作りやすくなる)・・・

 

からです。
また、一見すると、自分はちゃんと理性で考えられている!とのように「感じられる」時もあるかもしれませんが、このような際にも「冷め過ぎている」という所から始まり、次第に「無関心」や「他人事」に繋がり、終いには「心が動かない(動いていない)」という状態に重なってしまうというケースもありますので、私自身におきましても、出来る限り「自省と自戒」などを活用するようにしております。

と、これは余談ですが、私の住んでいる所では、昨年末から今年の1月迄で、既に1年分くらいの雪が降り積もっており、雪かきで積み上げていった高さも3mを越えようかとの勢いです!
そして、吹雪の中での3時間近くにも及ぶ雪かきでは、私においても《 天に唾を吐く 》ような「感情」で行っている時もありますが、そうでもしないと「体が動かない」という事もあります(笑)

 

ところで、話題は全然変わりますが、私はどちらかと言えば、見た夢をあまり覚えていない事が多いです!
そして、起きた途端に想い出せなくなる事も、とても多いです(笑)
そのような私ですが、今から2週間以上前の事ですが、ある夢を見て、それは未だに覚え続けています!

では、どうでも良い話!?と言えばそれまでですが、その夢の概要を少しだけお話させて下さい(笑)
そして、この夢での一つのポイント、それが、