性別違和(異和)と前世の視点から ~違和感が掬い(救い)上げる声なき声~

心や意識や精神面からの対応は元より・・・

社会や世の中の「仕組み」も同時に変えていく(考える事)も必要で大切となる・・・

 

という事になり、また、以前のTOPICSでもお伝えした事がありますが、先ほどチラッと『 (時代の変化) 』との言葉も忍ばせておりましたが、

 

時代とは自然と向こうから「到来する(やって来る)」ものではなく・・・

時代とは一人一人が「創り上げていく」もの・・・

 

でもあります。
これは裏を返し、敢えて「矛盾」を活用して表現すれば「声を出しやすい」時代になって来ているとは言え、性別違和(異和)などに関しても、当事者の問題だけでは片付けられない「時代」に入って来ている、、、とも言えるかもしれません。

 

では、ここで少し視点を展開させていきますが、同じく先ほどの著作の中では「同性愛」との言葉も出ておりましたが、「性的欲求」や「性同一性障がい」や「生殖」などは視点を敢えて「分離(分断)」する事が必要で大切な場合もあります。

そして、「同性愛」に強固に反対するご意見の中におきましては、「同性愛では子どもを産む事が出来ないのだから、自然の摂理(人間の本能)に反する」なども見られる模様です。

しかし、善し悪しや是非はともかく、現在では不妊治療などもかなり進んで来ております。
また、現在既にある「仕組み」では里親や養子制度なども存在しております。
これらの事からも「同性愛」の場合には「子どもを産む」事は出来なくとも、「子どもを育てる」事は充分に可能です。
ちなみに、前回のTOPICSで取り上げましたフレディ・マーキュリー氏に関しても「両性愛者」であった点などもご紹介しております。

 

また、これも余談と言えば余談になりますが、不妊治療などが進歩し続けると同時に、いわゆる「神の領域」とも言われていたDNAや遺伝子の改変なども顕著になって来ております。
つい先日には、遺伝子に改変を加えた豚の心臓を人間に移植する手術も行われました。
そして、このような事柄も、この後にご紹介するお話と「繋がって」「重なって」きますが、ここでも、

 

やはり「真の動機」を問うという事が・・・

大切で必要となっていく・・・

 

という事になります。
そして、

 

同性(愛)であっても・・・

異性(愛)であっても・・・

両性(愛)であっても・・・

人間という「繋がり」と「重なり」は共通している・・・

 

のも事実であり真実となります。
ちなみに、これこそ余談中の余談!?かもしれませんが、海の中の魚類を中心とした生物の中には、オスからメスへ、メスからオスへ、はたまたその両方に(幾度も)性転換出来る生物が約300~400種ほど判明しているそうです!
これこそ、先ほどの「自然の摂理」、、、なのかもしれません(笑)

 

では、ここからも視点を更に展開して参ります!