前編:この先に向けて2021年前半の振り省り(振り返り) ~想像・創造という価値~

『 特に「今ここから」私が懸念している事の一つに《 本人も原因や理由の分からない不定愁訴(の症状)が増えていく・・・ 》とのものがあります。
  なお、これはコロナ感染後の後遺症とは別物です。
  そして、全てとは言いませんが、このような不定愁訴(の症状)の多くが《 「顕在意識」と「潜在意識」の狭間で起こっている(自己)矛盾(抵抗や葛藤) 》であると、私個人としては見立てております。 』

 

と、前回のTOPICSでは「生活不活発病(廃用症候群)」に直接に言及している訳ではありませんが、それも念頭に踏まえてお伝えしていたものでもあります。

そして、このテーマを扱ったのが「3月27日」のTOPICSでしたが、「今となって」政府や政治家や専門家の多くが、現在の感染爆発の状況は「自然災害級」などと言い出しております。
全くの素人(門外漢)の私ですら「3月」の時点で薄々ながら感じていた事象を、、、「見通しが甘かった」からなのでしょうか、、、それとも他に理由があって「目を背けていた(目を逸らしていた)」のでしょうか、、、

 

○ 『 虎の威を借る狐にならぬように・・・ ~信頼の醸成~ 』(4月3日)

《 虎の威を借る狐とは、次第に「自分自身」の「表現」を放棄してしまい、いつの間にか「自分自身」という「存在」すら失ってしまう 》という事になります。

そして《 「自分自身」という「存在」を失ってしまう事により、「責任」の所在も「不在(曖昧)」となってしまう 》というのが、ここ最近の日本のみならず、世界各国でも頻繁に起こっている事象でもあります。

 

上記がポイントです。
社会や世の中、そして特に職場では「肩書き」というのが幅を利かせがちなのは皆さんも経験や実感を伴うケースがあるかもしれません。
勿論、「肩書き」も「役職や立場」などでも、良きにつけ悪しきにつけ、「善悪」や「是非」という「(過度な)二者択一」の問題ではありません。

しかし、「肩書き(役職や立場)」というのは、他人からの評価であっても、自分自身で行う自己評価においても、その人の「本質」を覆い隠して見えなくさせるという負の効果も兼ね備えております。
「長いものには巻かれろ」などの言葉もありますが、「一寸の虫にも五分の魂」との言葉もあるように、お一人お一人が「自らの芯や軸」を今一度想い出す(見つめ直す)事が「この先に向けて」急務なのかもしれません、、、

 

では、今回の前半におけるご紹介はここで終了になります!
そこで、締め括りの余談風に少しだけコメントしてみますが、冒頭には終戦祈念日も出て参りました。
そして、戦争体験につきましても次の事が言われております。

 

一次的継承 → 自らの体験を語る

二次的継承 → 体験を聞き取り語り継ぐ

 

と。
そして、戦争を体験された方々の高齢化等に伴い、この一次的継承が出来る方々は年々少なくなっており、早晩この一次的継承も出来なくなる事は「目に見えて」おります。
そうすると「この先に向けて」は二次的継承が大切となってくる事は論を待ちませんが、この活動を実践されている方々の中には外国人の方々も多いです。
そして、原爆で亡くなり苦しんできたのは日本人のみならず、外国人の方々も含まれております。
そして、