「生き様」から考える真の動機 ~野口英世と私の歯科治療体験(笑)~

【 別の側面もある 】

野口英世(以下、野口と称す)は子どもの頃に読んだ伝記や、学校の授業でも偉人として取り上げられるなど、現在の子どもも含め、多くの大人も「知って」いるでしょう(笑)

ただ、最近では、

 

「子ども時分」の私では知り得なかった・・・

野口の「別の側面」も明らかになって来ている・・・

 

というのも事実です。

そこで、番組『 フランケンシュタインの誘惑 』(NHK BSプレミアム)から「 科学者 野口英世 」の回を少し眺めます!

 

 

野口は1歳半頃に、囲炉裏の火で左手を火傷し、それが元で左手の指が癒着しました。

そして、16歳の時に手術を受け幾分回復したものの、手の不自由を抱えながらも勉学や努力を重ねていきました。

 

そして、生涯で200本以上の論文を発表し、ノーベル賞候補にも挙がりました。

しかし、

 

論文の内容の多くが間違っていた事実が・・・

「現在になって」分かって来た・・・

 

という状況です。

なお、この先の内容も然りですが、世の中や社会の出来事の中には、

 

「当時の」環境や事情を考慮する必要があり・・・

「現在の」捉え方や価値のみで評価や判断は出来ない!!!

 

というケースがあるのを、忘れないで下さい!

 

 

野口は結核菌や大腸菌やコレラ菌など、病原細菌学の研究をしていました。

そして、1900年の24歳の時に渡米し、ペンシルベニア大学の細菌学の教授サイモン・フレクスナーを訪れた所、サイモンは個人的に野口を雇う運びになりました。

その後の1903年、サイモンはロックフェラー医学研究所(現:ロックフェラー大学)の所長に就任し、野口を一等助手として招聘しました。

 

そして、この頃、梅毒が猛威を振るっていました。

しかし、1905年に梅毒の病原体が発見され、多くの科学者が梅毒の純粋培養(特定の病原体のみを増やす)の研究に取り組んでいました。

 

そして、1911年、野口は梅毒の純粋培養に、

 

世界で一番最初に成功したと発表し・・・

世界中から賞賛される・・・

 

との流れになりました。

更に、その後も梅毒の診断法は然り、梅毒の症状に伴う進行麻痺の原因を突き止める内容などの論文を発表し続けました、、、

 

しかし、梅毒の病原体の純粋培養に関しては、

 

「現在の」科学でも非常に困難、かつ、人によっては不可能と言われ・・・

実は「当時も」成功していなかった・・・

 

と、「現在では」考えられています。

 

 

ただ、進行麻痺の原因を突き止めた論文は、「現在の」医学や科学から検証しても、正しい評価を受けています!

 

【 耳を貸さない野口 】

その後の野口は、狂犬病の研究に取り組みました。

そして、野口は「狂犬病の病原体を発見した」と、サイモンに報告しました。

しかし、サイモンは、

 

論文の発表を焦らず・・・

他の研究者の「意見や考えも聞く」ように指示するものの・・・

野口は一切「耳を貸さない」・・・

 

という状態でした。

故に、サイモンは渋々ながら論文の発表を許可しました。

ただ、

 

論文の発表後も「再検証」を続けるとの条件を付すものの・・・

やはり野口は同じく「耳を貸さない」・・・

 

という「姿勢」を取り続け、条件は守られませんでした。

 

そして、「現在では」狂犬病の病原体は細菌ではなく、ウイルスである事実が判明しています。

しかし、

 

そもそも「当時の」顕微鏡では・・・

ウイルスは観察出来ない・・・

 

というのが実態でした、、、

 

 

このように、ある意味では紆余曲折を経つつ、野口は正研究員に出世し、ノーベル賞候補にも挙がるようになりました。

そして、1918年、野口は黄熱病の研究に取り組み始めます、、、