そして、ストレッチャーに仰向けに寝かせられ手術室に向かったのですが、見えるのは電灯の明かりと、電灯の無い所の暗さの繰り返しで、右も左も方向感覚もなく、この時を振り返り、やはり一番思う所が、このTOPICS(例えばこちら)でも繰り返しお伝えしております、
人それぞれ・・・
見ている景色は違う・・・
というものです。
「心象風景」という言葉もありますよね(笑)
そして、無事に手術は終わり、病室に戻れる事となりました。
意識が戻るにつれ、痛みなども確かに苦しかったのは憶えておりますが、何より、先ほどの尿道へ入れられている管の痛みと違和感、更に、鼻から胃に入れられたチューブにより、
「当たり前」に言葉を発する(表現する)事の出来ない辛さ・・・
がありました。
私達は当たり前に「言葉」を発しているように感じていますが、実際にチューブが入っている状態で話そうとすると、
意外にも「空気の振動(抵抗)」がある・・・
という事に、この時初めて気づきました。
チューブが喉の粘膜などに触れる痛みと共に、この空気振動(抵抗)が拍車を掛けているというような感じです。
そして、これもこのTOPICSでは繰り返しお伝えしておりますが、私達の「意識も振動(数)」であると、、、
この事から、
発している(表現)しているのは・・・
「単なる」言葉に過ぎないものではない・・・
と言えるかもしれません、、、
その後、鼻のチューブが抜かれる時は嘔吐のような気持ち悪い感じもあり、尿道の管を抜く時は、これまた激痛!!!でしたが、やはり、抜いて貰った後は、
サッパリ(爽快感)!!!
という感覚も「戻り」、段々と食欲も「増して」いきました。
しかし、手術も終わり、気持ちも落ち着いてくると、今度は病院食の不味さ!?に「意識」が向いてしまう!というのが本音でした(笑)
勿論、栄養管理などもされていて、様々な創意工夫も施されている病院食ですので、批判や非難という意味では決してありませんが、高校生の私には物足りなかったのも偽らざる本音です(笑)
そして、母に頼んで唐揚げ弁当を買って来て貰い、それがとても美味しかった事はよく憶えておりますが、ただ、当時この病院の医師である父の立場からすると、その家族が病院食を食べないというのは、立場上からもかなり宜しくないケースであった事でしょうから、母がこっそり病院食は袋に入れて持ち帰っておりました(笑)
そして、肺もちゃんと膨らんで、空気の漏れもなくなったので、最終段階での、手術室で肺の管(ドレーン)を抜いて貰い、その箇所を閉じて貰う処置を行う事になるのですが、この処置はホチキス(のような器具)で切開した箇所(私の場合では左の脇腹と脇の間)をガシャン!と閉じるのですが、この時、
「一瞬」の痛みとしては・・・
これまでも、、、そして、、、これからも、、、
体験出来ない程の激痛!!!!!
でした。
なぜなら、『 ごめん、ごめん! 麻酔するのを忘れてたよ(笑) 』と外科の先生がおっしゃっていたからです(笑)
別にこれは医療ミスであるとか、何かの批判や非難を込めての意味では全くありません!
この真意には、「弘法も筆の誤り」という言葉もありますが、