私の入院体験からのお裾分け(笑) ~パート1~:自然気胸と投球骨折

ちなみに、この二度目の入院時の主治医も父であり、この注射器を手に治療してくれたのも私の父ですが、私の中には医師としてと言うより、「親子」という感覚がどうしても先走り、その時の父を「信頼」していなかった訳でも当然ありませんし、ある意味では、他のどの医師よりも「一生懸命」に治療してくれているのも「理解」は出来ていたのですが、やはり、どこかで「親子」というのが私の中では強く感じ(当たり前でもありますが(笑))、それが当時の私の中では「(過度な)自己矛盾」を起こしていたのかもしれません!?

このTOPICSでも「親子と言えど魂は別」などもお伝えしておりますが、だからと言って全てが全て「割り切れば」良いという訳でもありません。
これは、

 

親子に限らず、職場や社会の人間関係における・・・

「距離感」(を考えてみる)・・・

 

という一つの素材となるかもしれません。
と、このように様々な治療も続けられましたが、それと同時に肺には管(ドレーン)が挿入されたままですので、私は寝返りも打てず、ましてや、病室から出る事も出来ない状態が続いていました。

歯を磨くのも、顔を洗うのも全てがベッドの上での「行動」になり、時折、体を拭きに看護師さんなどがやってくれるという状況が1ケ月程は続いていたかと思います。
そして、ベッドの上であればとの条件付きで髪を洗う許可が出ました。
勿論、私自身では出来ないので母に洗髪をして貰いましたが、

 

人生で初めて・・・

そして、その後の人生でも味わっていない・・・

髪を洗う事への「心地よさ」・・・

「生きた心地」がした!!!

 

と感じました(笑)
大げさに思えるかもしれませんが、1ヶ月程髪を洗っていないと、皮脂で髪の毛はくっつき、フケも面白いぐらいに「層」を成しており、一度に4~5回程洗って貰った記憶があります。
今は髪の毛も無いハゲの私ですが、髪の毛があるかないかに関わらず、その時ほど髪を洗える事の「爽快感」はこの先感じられる事はないでしょうし、また、感じる体験もしたくはありません(笑)

 

と、このようになかなか治癒に至らない状態が続き、父と外科の先生が話し合い、私も受験を控えている時期でもありましたので手術を行って貰う事になりました。
しかし、

 

この手術(という言葉と現実)を聞いた私は・・・

絶望?落胆?・・・何とも表現出来ない程の・・・

落ち込んだ状態になってしまった・・・

 

というのが事実です(苦笑)
勿論?ここには先ほどの(過度な)妄想も関与しておりますが、その後は食事をほとんど取れなくなってしまいました、、、

 

しかし、食べて少しでも体力を回復しなければ手術は受けられないし、そのままの状態では自然気胸も完治はしないし、、、との、自分の中では「堂々巡り」と言うより、正直、「(悪)夢であって欲しい!!!」というのが本音でありました(笑)

そして、食事を取れない?あるいは、取らない?のが当時の自分としてもどちらが「本当の自分」であったのかは今もって分かりませんが、点滴だけでは体力もつくはずがなく、このままではIVH(中心静脈栄養)の点滴しか方法が無いというような感じの事を父から言われたと記憶しております。

 

とは言っても、そう簡単に自分の気持ちが前を向く訳でもなく、少しの間、変わらぬ日々が続いていましたが、ある日のお昼頃に(先ほど話題に出た)ラジオからある曲が流れてきました。
それは、私の好きなTUBEの歌でしたが、その時の私はその歌を知りませんでした、、、