スピリチュアルを知る(学ぶ)と悲しみは無くなるの??? ~泪と涙~

私の母は2012年に他界しましたが、その母の死に際して、私は3度「泣いた」事を憶えております(笑)

 

1度目は母の死からちょうど3週間後の事です。
当時は東京に住んでおりましたが、その時は母の死後の整理や手続き等が残っていた為、葬儀後も青森の実家に滞在しており、父などが寝静まった後に一人でお酒を飲んでいた時に「泣いた」という憶えです。

2度目は年が明けた2013年のお正月明けの時ですが、この時は年末年始は青森の実家で過ごし、東京へ戻る新幹線の車中で「泣いた」憶えです。
ちなみに「泣いた」と言っても人目をはばからず声を出してなどではありませんので(笑)

そして3度目は、、、この時の状況(シチュエーション)は憶えておりません。
ただ、3度「泣いた」という記憶が今でもあるだけです(笑)

 

ちなみに、東京から母の入院先の病院までは電車やら飛行機やらタクシーやらの乗り継ぎで、私は母の臨終には立ち会えませんでしたが、病院について母(のご遺体)と対面した際には「泣きません」でした。
ただ、、、「よく頑張ったね(生き抜いたね)!!!」と声を掛けたのは憶えております。

経験のある方もいらっしゃる事でしょうが、このような臨終(直)後というのは、夜中であろうと早朝であろうと、ご遺体の搬送やら、誰に連絡をすれば良いのか?などなど、やる事が一杯あり過ぎて悲しむ暇も無いという実情もありますね(笑)

 

ところで、私の父は医師でありますが、数年前にクリニックを閉院した後に、自らの半生記を書き連ねておりました。
そして、その中に私の父の父(私から見れば祖父)が他界した時の出来事について書かれておりますので、ほんの一節ですがそれをご紹介して参ります!

『 葬儀・法要が済み、一杯飲んでいる時に親戚の○○さんが「 先生(医師)のような仕事をしている人は親が死ぬ時も会えないんだね 」と言った。

  私はなぜか、わぁっと言って、その場に突伏して泣いた。 』

と、このような一節ですが、今回のこの箇所は、私(の経験)と父(の経験)とのコラボ(合作)という初の試みでもありました(笑)

 

では、ここからが今回の本当の趣旨に入って参ります!
そして、これはあくまで、「私の中」の「区分け」です(笑)
まず、1度目の「泣いた」憶え、これは、

 

「悲しみ」からの・・・「泪」

 

そして、2度目の「泣いた」憶え、これは、

 

「寂しさ」からの・・・「涙」

 

というものです。
そして、これも全くの個人的な解釈ですが、

 

「泪」とは存在(出来事など)を「受け入れる」為に・・・

そして・・・

「涙」とは何かを「取り戻す」為に・・・

 

というものです。
では、3度目の「泣いた」憶え、、、それは後に出て参りますので(笑)
そこで、まず、