山岡:
『 永井さん(調理師たる旦那)、チャーハンの美味しさって何なのさ?
米の飯の味だよ。
米の飯のうまさを味わうのが、一番の目的なんだ。
あれこれ贅沢なものを使って、贅沢な味を味わうのは、他の料理ですればよいこと。
みんながチャーハンで望むことじゃない。
チャーハンの目的に外れたものを作ること自体、あんた勘が狂ってるよ。
いくら腕の立つ本職でも、いったん勘が鈍ってしまえば、俺みたいな素人にも及ばないのさ。
その勘を鈍らせたのは、博打、勝負事なんだよ。 』
と。
そして、ハッピーエンドと相成っていきますが、今回も同様に、私は別に競馬やパチンコなどの、いわゆる公認されているギャンブルなどを批判している趣旨でも全くありませんので誤解の無きようお願い致します!
また、このような豪華なチャーハンも食べてみたい!!!と、個人的には思います(笑)
では、これまで2つのエピソードを見て参りましたが、これも、もうお分かりかもしれませんが、
「本質」とは「基本」でもあり・・・
「基本」とは「原点」でもあり・・・
どれもが「繋がって」「重なって」いる・・・
その「反映」の現れが・・・
今回のチャーハン・・・
でした(笑)
「本質」と言うと、何か難しく、容易に到達出来ないような感じを受けるかもしれませんが、このような「気づき」とは、難しく複雑である必要もありませんし、そこへ到達する迄に(必要以上に)苦しんだり悩んだりする必要性も本来はありません。
なぜなら、「美味しんぼ」という漫画が好きな私ですが、私はグルメでも何でもありませんし、たまにする料理(と言える代物でもありませんが)も全く得意ではありません(笑)
そして、
「本質」でも「基本」でも「原点」でも・・・
呼び名は何でも構わないが・・・
それぞれが「繋がり」と「重なり」があるという事は・・・
ほんの「僅かな箇所」に目を向けてみるだけでも・・・
「気づき」は「螺旋(らせん)状」に発展していく!!!
という面があるのも真実です。
そして、今回の私のケースのように、
自分の好きなものから「気づき」を得るのに・・・
全てが「全て」・・・
自分で「体験」し・・・
自らでも「出来る」ようにならねばならない・・・
という訳では決してない!!!
という事もお分かり頂けるかと思います(笑)
では、「メタファー(物語や比喩)」の余韻を台無しにしてはいけませんので、一つだけ!!!