先日来の相次ぐ台風により甚大な被害が出ておりますが、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、お怪我をされた方やお家が損壊された方、また、避難所でお過ごしになられている方なども含めまして、心よりお見舞い申し上げます。
そこで、今回は「ギリギリの所まで来ている・・・現代(という私達)」というテーマをお届け致しますが、不謹慎の誹(そし)りを免れないなどのご批判もある事も承知の上で、かつ、そのようなご意見もちゃんと受け止めた上で、私自身が「今」必要と感じている面を、率直にお伝えして参ります。
では、まず最初に、お聞きになった事がある方も多いかと思いますが、中島みゆき さんの「時代」という歌(作詞:中島みゆき)の前半部分の歌詞をご紹介致します。
『 今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ時代は回る
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わってめぐり逢うよ 』
では、皆さんに問い掛けます、、、
「今」起こっている・・・
自然災害にしても・・・
人為的な様々な出来事にしても・・・
「いつか話せる日が来るわ」・・・
「きっと笑って話せるわ」・・・
と、「今」、本当にそのように思い、感じる事が出来るでしょうか・・・
ところで、次のような言葉があります。
国破れて山河あり
これは「戦乱などで国が滅びても、山や川などの自然は元のままの変わらない姿で存在していること」を表していると言われておりますが、この言葉を自然災害に当てはめるのは「誤用」である事を敢えて承知の上で、
「今まで」のように何も変わらずに進んで行った時に・・・
「これから先」の光景(景色)に・・・
この言葉は、当てはまるのでしょうか・・・
逆に、あくまで私個人としては、仮に国がかろうじて存続出来たとしても、そこに、山や川は既に存在していないかもしれず、、、ひいては、そこ(国)に人々(国民)は存在し得るのだろうか、、、という事を、とても強く考えてしまいます。
では、このTOPICSでも何度か繰り返しお伝えして来ておりますが、少し表現を変えて、改めてお伝え致します。