魂の視点から見る、お葬式と結婚式の共通点 ~鍵を握るはアカシックレコード!?~ 

まず、一つ目としては、

 

他界されたご本人様に向けて、死を気づかせてあげる

 

という視点があります。
これは、頭のオカシイ?オカルト風?な話に聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、突発的な事故などの場合や、意識の無い状態での入院生活が長期間続いていた場合などでは、

 

ご本人様そのものが、他界した事に気づいていない

 

というケースが(よく)あると言われております。
そのような視点からは、ご本人様が気づかぬままに、少しの混乱や困惑した状態で自らのお葬式に参加しているケースもあれば、ご本人様は他界された事に(充分に)自覚を持った上で、ご挨拶の思いを持って参加しているケースもあります。

なお、「参加」という言葉は少し変?に私も感じますが、なかなか適切な言葉が浮かびませんでしたので、ご容赦下さい(笑)
では、二つ目としては、

 

ご遺族などの心の整理(区切り)の為

 

という意味合いがあります。
これに関しては、私がこれ以上コメントするようなものでもありませんので、皆さんもご自身の経験から考えてみて下さい!
そして、これが一番大切になる三つ目として、

 

感謝であろうと・・・謝罪であろうと・・・

他界された方・・・この世にご存命の方・・・

「双方」における「思い」の交流の為に!

 

という意味合いです。
ところで、近頃の何かと慌ただしく気忙しい現代においては、お葬式と同時に、49日や100日法要なども済ませるケースがとても多くなっております。
勿論、これも否定や非難されるような性質のものではありませんので、それで良いものでもあります。
ちなみに、このような観点から、お葬式などを執り行わなかったからと言って、「浮かばれない」などのような事も決してありません(笑)

 

そこで、先ほどの私が参列させて頂いたお葬式のお話です。
なお、誤解の無きように先に申し伝えておきますが、これも否定や非難などでは決してなく、「所変われば品変わる」、つまり、仏式などでも、それを執り行うお坊さんや葬儀会社などによって違いがあるという趣旨でご紹介致します。

 

では、まず最初に、私がお葬式に参列させて頂く時の、私の「思い(スタンスや姿勢)」を少しお話致します。