魂の視点から虐待(やDV)を防ぐには・・・ ~現実的な「行動」も必要となる~ 

親子と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という同じ視点です。
そして、ここでの意味とは、

 

支え切れない事で「共倒れ」になってしまう前に・・・

お子さんには可能性が広がっており・・・

虐待ではなく、(一時的にでも)預かって貰うという経験を通して、お子さんは学ぶ事も出来る・・・

 

という視点を信頼する事になります。
そして、先ほどの「正論」や様々な心情などからも、このような「(他人に)預ける(という対応)」を取る「行動」に否定的なご意見がある事も、私も理解出来る部分はあります。

ただ、これは、今回の事件の、(一時)保護権限を持っている児童相談所においても、そのような心情の働きがあった事は容易に推測されますし、それが今回のような悲劇的な結末を招いてしまったという側面からは目を逸らす事も出来ないと感じます。
なお、児童相談所の記者会見では、父親の威嚇的な態度に恐怖を感じてしまった・・・との弁解がされていましたが、これは、そもそも「論外」です、、、、、(そのように感じるのであれば、このようなお仕事をするべきではないとの私の個人的な見解ですが)

 

そして、これも繰り返しですが、魂の視点のみで全てが解決に向かう訳ではないかもしれませんが、それと同時に、現在の制度や連携などの仕組みを活用する事も必要になってきます。
ただ、幾度も変わらずに繰り返されている悲しい出来事を少しでも減らしていく為には、

 

魂の視点を「プラスα(アルファ)」として活用してみて・・・

そして、この魂の視点を活用する際には・・・

 

「(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛け・・・」に親子(妻あるいは夫)共々に翻弄されない為にも・・・

(一時でも、そのような世間や周囲の声には)目を瞑(つぶ)ってみる・・・

 

という事も、先ほど少しコメントしました二次被害をも防ぐ事を含めた、効果的で現実的な対応になるかもしれません。
なお、虐待が疑われる際に、躾(しつけ)や教育の一環だとの受け答えをする人もおりますが、虐待と躾は全く違うものでありますし、そもそも、

 

教育とは・・・(お互いに)教えを育(はぐく)み合うもの

 

ですので、虐待の弁解や言い訳にはなりません

また、(私個人としては、このような考えは持っておりませんが)よく「虐待を受けた人は自分の子どもにも繰り返す可能性が高い?」などとも言われる事がありますが、これも、「(虐待を受けていた自分の子ども時代を、新たな気持ちで)生き直したい(やり直したい)」との「思い」に光を当てる事で、充分に防ぎ得るケースもあるかもしれません。

 

そして、より広い魂の視点として、宜しければ次の事も考えてみて下さい。
私はキリスト教徒でもありませんし、無宗教ですが、イエス・キリストにおいては、

 

イエスに癒しを求めたのも「人間」であり・・・

また、それと同時に・・・

イエスに処刑を求めたのも「人間」である・・・

 

という視点と、イエスは十字架に張り付けられた際に、次のように語ったと言われています。

 

『 父(神)よ・・・

  彼らをお赦しください・・・

  (彼らは)している事が分からない(理解出来ていない)のです・・・ 』

 

と。
また、イエスは弟子達に向けて次のように諭(さと)し続けていたと言われています。

 

『 私に出来ることは・・・あなた達にも出来ること・・・ 

 

と。
そして、イエスが本当に伝えたかった真意としての、

 

『 皆さん一人一人が・・・

  メシア(救世主)です・・・ 』

 

との魂の視点に繋がってくるのかもしれません。
そして、この視点における一番大切な事は、今回のテーマの虐待やDVにおいても、「イジメの「根底」」と同じもの」とお伝えしましたように、結婚しているしていないに関わらず、また、お子さんがいるいないに関わらず、