アイドルという存在から考える依存や感謝などの視点 ~ペットロス症候群なども含め~ 

依存する事と・・・

支えや寄り添いなどを受ける(享受する)事とは・・・

全く違う・・・

 

という点です。
そして、何故、誤解?や捉え違い?が生じるかと言いますと、外形上では依存と支えて貰う事などの違いが目に見え辛いという側面も確かにありますが、依存と寄り添って貰う事などの違いにおける明確な線引きの「本質」となっているのは、

 

「感謝」の気持ちが存在しているのかどうか?

 

です。
故に、今回のテーマのもう一つとして「感謝」という言葉が入っている事と、今回の「嵐」のケースにおいては、先ほどコメントしました通り、ファンの多くの方々が理解を示しているという事からも、「依存ではない」・・・という事が現れている事かと感じます(笑)

そして、このような視点においては、確かにファンの方々の思いの中には、寂しさや悲しさなども含まれている事かと思います。
これも自然な気持ちの現れでもあります。
そして、このようなケースは一種の「別離(わかれ)」とも言えるかと思いますが、ここでの「本質」も、

 

恋人との別れ・・・

配偶者などとの離婚・・・

親しき人との別離(卒業や巣立ちや死別など)・・・

 

などでも同様です。
勿論、虐待を受けていたなどの極端なケースは別ですが、このような「別離」においても、

 

そこに「感謝」の気持ちがあるかどうか?

 

がとても大切な視点となり、悲しさや寂しさがある中においても、

 

その「別離」の中に・・・

ほんの少しでも「感謝」の気持ちを見い出せる事であるならば・・・

それは、その先の生きる「希望(など)」へ繋げてくれる!

 

という大きな力や励みともなります。
では、ここ迄は、「依存」と「支えや寄り添いを受ける」という事は、その「本質」では違いがある、という点を何かの折には想い出すキッカケとして頂ければ幸いです(笑)

 

では、アイドルという存在への視点を少し変えてみます。
この視点は、男女という意味では本来は同列ですが、どちらかと言うと、女性アイドルに対して多く見受けられる傾向でもあり、また、先ほどの「依存」よりも、より根が深く深刻な感じもしております。
それは、

 

アイドル(としての活動中)は恋愛禁止・・・?

 

というものです。
これもどこまで真実であるのかどうかは分かりませんが、まことしやかに囁(ささや)かれているのも事実ですし、中には恋愛禁止は当然である、と公言するアイドルの方もいらっしゃいます。
勿論、一生懸命頑張っていらしゃる当事者としてのアイドルの方が、そのように思ったり考えたりするのも全くの自由ですので、それも構わないかと思います。
ただ、これも理性から考え、また、私達の多くである一般人としての自分の事として考えた時には、

 

(異性であれ同性であれ)誰かに好意を持つのは自然なこと・・・

 

というのは誰もが本当は理解出来ている事と思います。
ちなみに、誰かに好意を持つのは「自然なこと・・・」であって、「当たり前なこと・・・」という意味ではありません

と言うのも、「当たり前」と言ってしまうと、「では、誰にも好意を持っていない(持てない)私はおかしくて変なの?」というご意見も出されるからです。
勿論、このような事はおかしくて変な事では決してありません。
ただ・・・、極論を言えば、

 

全く誰にも何に対しても好意を持てないというのは・・・

実は・・・自分自身を蔑(ないがし)ろにしている・・・

 

というケースもございます。
余談で話が逸れてしまいましたが、戻して参ります!