魂の視点から考えるAC(アダルトチルドレン)とインナーチャイルド

時には、自分の思いもよらない意見や考えに、ハッとさせられる

 

という「一瞬」が人生には「多々」訪れています。
そして、これは、他の人の意見や考えを全て自分に取り入れるという意味ではありません。
これが先程からの、

 

「選択と決断」という「取捨選択」の自由は自分が握っている!

 

という意味です。
そして、この事から、

 

DVや虐待を受けて育った人は・・・

子どもが出来た時に・・・

同じような事を繰り返す(傾向が高くなる)・・・

 

というのが、ある意味「幻想でもある(一種の社会的暗示)」という事が当てはまります
今までのTOPICSではインナーチャイルドについては結構取り上げておりますのと、今回はアダルトチルドレンに焦点を合わせる趣旨でもありましたので、ここまで長くなってしまいましたが、少しだけインナーチャイルドにも触れてみます。
まず、インナーチャイルドは「内なる子ども」と言われるように、

 

何かの出来事が「子ども時代」であったにせよ・・・

それが「昨日」の出来事であったにせよ・・・

そのままの状態(感情)で留まっている事に変わりはない・・・

 

というのは、意外と?知られておりません
そして、インナーチャイルドは「今世」の出来事に焦点が合わせられた定義ですが、それこそ、「幾多の前世でのインナーチャイルド」を(改めて)見つけてみようと試みれば、それも可能ではあります(笑)
ただ、インナーチャイルドとアダルトチルドレンでは、「魂の視点」からは、ある一点に「違い」があります
それは、

 

産まれて来る前には・・・

それまでの全ての前世を含めた・・・

整理統合が行われている!

 

という点です。
つまり、インナーチャイルドが顔を出す(あるいは、産まれてくる)と言われる「今世」での出来事には、

 

既に整理統合された視点が・・・

忘れられてしまった・・・

あるいは・・・

再度、想い出すキッカケとして・・・

 

というように働いている可能性が高いという点です。
勿論、「今世での出来事」という意味では、アダルトチルドレンでもインナーチャイルドでも、「ある出来事」の体験では「重なり合っている」というのも真実です。
ただ、「魂の視点」では、