「船」というシンボルから見る「人生の舵取り」 ~自律・自立と共依存の違いも含め~ 

「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」

 

というポイントです。
そして、何故、「(共)依存」に陥っていくかと言いますと、

 

(共)依存でも、最初は・・・望んだ方向に進んでいる!・・・という錯覚に陥るから

 

です。
言わば、飴(あめ)と鞭(むち)の、飴の部分です。
そして、当初の上手くいった!との錯覚を利用して、

 

以前は上手くいったのだから、今後も「あの人」に全てを任せていれば大丈夫!

 

という方向に、無意識ながらも誘導されていってしまうというケースです。
そして、「あの人」は次第に、

 

私に任せれば全てが上手くいく!

 

という「方便」をドンドン活用していきます。
そして、何かが望まない方向に進んでいるなぁ、と疑問に感じた際でも、「あの人」は、

 

上手く行かないのは、あなたが私の言った通りにしないからだ!

 

との「方便」を重ねつつ、それでも、あなたが「あの人」の話す言葉に口を挟むと、

 

逆鱗に触れ・・・怒られる羽目に陥る・・・

 

というのがパターン化していきます。
そして、次第にあなたは、

 

悪いのは・・・(「あの人」の言う通りにしない)自分なんだ・・・

 

と、ドンドン罪悪感や自己嫌悪感に追い込まれていきます。
そして、これも、もうお分かりの通り、ここまで追い詰められた時点では、

 

既に・・・あなたの「選択と決断」を・・・あなた自身が放棄してしまっている・・・

 

という結果に陥っています。
そして、この「選択と決断」という観点から「自立・自律」と「(共)依存」を見た場合でも、

 

「自立・自律」においては、誰かや何かのせい(責任)にしない

 

という側面が働く一方、

 

「(共)依存」においては、

(あなたの視点からは)「あの人」の言った通りに行ったけど、上手くいかなかった・・・なので悪いのは「あの人」だ・・・

一方、

「あの人」の視点からは)私の言う通りに行わない、あなたのせい(責任)だ!

 

となっていきます。
そして、「おまえが消えて喜ぶ者」とは、

 

あなたをコントロールしている誰かや何か

 

という意味です。
つまり、このような状況の時には、

 

あなたは、あなたの人生を歩めていない・・・

 

という、空虚感や不安感などに苛(さいな)まれる事になってしまいます。
そして、「自立・自律」では「選択と決断」を握っているのは自分自身!という側面が働くとお伝え致しましたが、「(共)依存」から脱する際にも、