「船」というシンボルから見る「人生の舵取り」 ~自律・自立と共依存の違いも含め~ 

『 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

  その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
  その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
  流されまいと逆らいながら
  船は挑み 船は傷み
  すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

  その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
  その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
  地平の果て 水平の果て
  そこが船の離陸地点
  すべての港が灯りを消して黙り込んでも
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

  (以下、省略)  』

 

様々な捉え方が出来る歌詞ですし、どのようにご自身なりに解釈をされても自由です。
だた、多くに共通する見解というのは、

 

自分の人生の舵取りをするのは、自分自身である

 

という点であろうかと思われます。
そして、「自立・自律」と「(共)依存」の関係について、ご質問を受ける事もよくあります。
人生という長旅においては、時には道に迷い、悩み抜く事もあります。
このような時に誰かからアドバイスを受けたり、お話を聞いて貰ったりして、自分というものを整理統合していくのは、「(共)依存」ではなく、「自立・自律」になります。
なぜなら、

 

何かしらの問題点に自らが気づいているが故に・・・

打開点を求める気持ちが湧き起こり・・・

そして、

自らを変えていこう!との決意が備わっているから・・・

 

です。
このような時に、誰かの力を借りたり、支えて貰ったり、協力を仰いだりするというのは自然な事です。
そして、時には、自分ではどうしても足が竦(すく)んでしまうような荒波を超える際に、他者という「船」に乗せて貰い、「一緒」に荒波を超えていくというのも自然な事であり、これも「(共)依存」とは違います。
なぜなら、

 

自らの分(身の丈)を知り・・・

(今回のケースでは)他者の助力も仰いで乗り越えていく・・・

という、

「選択と決断」を自らが下しているから!

 

です。
ここでの「選択と決断」とは、今回の歌詞の中の、

 

「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ」

 

に当たっています。
では、「(共)依存」ではどのような事が起こっているかと言うと、もうお分かりかと思いますが、それが今回の歌詞にある、