もしかしたら、「極度の完璧主義」に関しては、それを上回るだけの過剰かつ極限の練習をすれば悩みがなくなる可能性もあるのかもしれません・・・
しかし、「全ての人を納得させなければ気が済まない」というケースでは、どれほど原稿を練り直しても、血の滲むような練習をいくら重ねても、人前で上手く話せないという悩みを解消するのは不可能なことと思います。
そして、人前で話すというケースにおいてのみの悩みであれば何とか自分を騙し騙し保っていくことも出来るのかもしれませんが、このような「大きなテーマ」は他の出来事にも当てはまり、どんどん反映されていってしまう、というケースも多いです。
例えば、「自分の創る料理」に反映されてしまうと、どうでしょうか?
そのような「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」という点を満足させる料理を創り上げることは本当に出来るのでしょうか?
そして、人生全般についても反映されてしまっているとしたら、どうでしょうか?
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とても生き辛さを感じてしまうことと思います・・・
そして、このようなことは自分で自分の人生を狭苦しいものにしてしまうのみならず、
相手の人に対しても同じように判断してしまいがちになる
という点がもっと重要になってきます。
例えば、誰かの講演会において、その人が少し噛んだだけで大したことないや、あるいは、自分を納得させられないのだから聞く価値もない話だ、と判断してしまいがちになるということです。
そして、このように相手に対する判断を下してしまっていると、
段々と人が離れていく
というのは容易に想像出来ることと思います。
人が離れていってしまえば、誰も話を聞きに来ようと思う人もいなくなるでしょうし、そもそも人前で話す機会が失われてしまいます。
そして、実はこのようなケースは自分が望んでいる悩みを逆説的に解決してしまった、というケースに当てはまります。
もうお分かりかもしれませんが、
人前で上手く話せない・・・
という悩みの解決策として、
人前で話す機会を無くしてしまう・・・
という方向性で実現してしまったということです。
ここまで見てきたように、生き辛さを感じてしまったり、人生が狭苦しいものになっているというのは、自分の悩みは「人前で上手く話せない」という点に焦点が当たってしまっているということです。
しかし、本当に焦点を当てるのは、
「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」と思い込んでしまっている理由となっている点
です。
そして、ここに焦点が当たり、自分の悩みは「人前で上手く話せない」ということではない、と気づけば、この悩みは解消されてしまいます。
そして、「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」という点の理由や解消していく方法を見つけていくことで、自然と「自分の創る料理」に反映されてしまったケースも解消出来るようになります。
ここでの「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」というのは、あくまで一つの例えです。
この「極度の完璧主義」や「全ての人を納得させなければ気が済まない」ことの理由となっている、もっと大きなテーマが隠されているケースもあり得るにはあり得ます。
しかし、悩んでいると思い込んでいる焦点の矛先を変える、つまり、
より大きなテーマに焦点を当てることで解決の糸口が掴める
というのはよく起こります。
そして、「より大きなテーマ」を探し出していく時に助けになってくれるのは、