【 意識と体の関係 】
それは、意識と体の間に「主従関係」があるとすれば、
意識が主である
という点です!

【 意識は何でも実現可能!? 】
先ほどの海外ドラマでは、他の人の意識が宿ることで、体の不自由が解消されます。
そして、肉体上の死が宣告されても、他の人の意識が宿ることで、「引き継ぎ」という生き返り現象が描かれています。
小説では「代体」が途切れることなく、常に用意出来れば、永遠に生きられるのか???というテーマも描かれています。
映画の『 マトリックス 』では、意識を仮想現実に移動させることで、仮想現実内で行動可能になりますが、仮想現実内で受けた体への衝撃は実際の体にも「反映される」という視点が描かれています。
体には物理上の衝撃が加わっていないにも関わらず、仮想現実内の意識への衝撃が体に反映されるというものです。
ドラマ『 コピーフェイス 』の出来事は、実際に実現可能です!
外見上は全くの別人になりたいと思い美容整形を受ければ、今すぐにでも可能です。
怪我や火傷も含め、容姿にコンプレックスを抱き、死を思い詰めてしまったり、あるいは、体という外見を変えることで「生きる意欲」が出るのであれば、一概には否定出来ない面もあります。
そして、その後の人生が「輝いていく」のであれば、、、
ただ、外見が変わっても、人の個性・意識が自動的に変わるものではありません。
やはり、その後の人生を輝かせていけるのは、その人の個性・意識です、、、

【 デカルトの心身二元論 】
哲学者のデカルトは「心身二元論」を提唱した人です!
この説は「心と体は別のもの」というものです。
この「心身二元論」は、現在の近代科学の基礎の考えとなり、また、西洋医学の土台になっています。
私もその点は否定せず、様々な良い影響や利点を与えているのも事実です。
しかし、この説の元になっている視点が、現在では取り違えて解釈されているケースもあります!
それは、デカルトが伝えたのは、
「心と体は別のもの」という考えは成り立つが・・・
「心が無い」とは言っていない!!!
という点です!
ここでの心は意識と同じ意味として捉えて良いです。
そして、デカルトは次の言葉も残しています、、、
それは、
我思う、故に我あり
と、、、

【 逆の視点は成り立たない 】
全くの個人的解釈として、私はデカルトの言葉を、
先の「我」は「心・意識」であり・・・
後の「我」は「肉体・体」である・・・
と捉えています。
つまり、
「心・意識」が思うことで、「肉体・体」も存在し得る
なぜなら、先の「我」を「肉体・体」とし、後の「我」を「心・意識」と逆に置き換えると、
「肉体・体」が思うことで、「心・意識」も存在し得る
になり、違和感を感じませんか???
この状態はホラー映画のゾンビと同じです(笑)

勿論、デカルトの本心も真実も「今はまだ」分かりません、、、
私達は「肉体・体」には、とても意識を向ける傾向があります。
アンチエイジングの流行や、コマーシャルでサプリメントや健康食品をよく見かけるのも、その意識の表れです。
そして、「肉体・体」を意識してケアすることも、とても大切なことです!