意識の器(うつわ)と心のケア ~デカルトの心身二元論の真の意味も含め~ 

第133回:『 意識の器(うつわ)と心のケア ~デカルトの心身二元論の真の意味も含め~ 』
【 参照キーワード:デカルト、心身二元論、スピリチュアル 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

先日は数年に一度の寒波の到来ということで、日本全国の多くの地で雪が降り積もったとのことでした。
私が住んでいる青森県五所川原市も、お正月は雪はほとんどありませんでしたが、この寒波の影響で短時間のうちに積雪が重なり、日に幾度も雪かきを行いました。
運動不足になりがちな冬という季節ですが、ある意味、雪かきも良い運動になります。
まだ幾度かは寒波もやってくるかと思いますが、雪に馴れている方も、雪に不馴れな方も、気をつけようと少し意識を向けるだけでも、不要な怪我などを防げるかと思いますのでお気をつけ下さい。

 

そして、1月も中盤ということで、今回は身近な小説やドラマや映画などから、少しスピリチュアルな視点も含めまして「意識の器(うつわ)と心のケア ~デカルトの心身二元論の真の意味も含め~」というテーマでお届け致しますが、堅苦しいものではありませんので、気軽な感じで読み進めて頂いて、よろしければ考える素材としてみて下さい。

 

そこでまず、昨年末にかけて、私はある小説を読んでいました。
それは「代体」(作者:山田宗樹、発行:KADOKAWA)という小説です。
この小説は、人間から意識を取り出す技術が発達し、その意識を人体そっくりの機械である「代体」に移すことが出来るようになった所から始まります。

 

この「代体」の活用法としては、例えば怪我や病気などで苦痛を伴う治療を行う間、自分の意識を機械である「代体」に移すことで、「代体」を自分の体と同じように活用しながら今まで通りに仕事や家事をしたり、また、肉体に対する治療の苦痛を避けるという目的で活用されていました。
そして、意識を移すことが可能となった技術においては、ある人の体からその人の意識を取り除けば、意識が取り除かれたその体には他の人の意識が宿ることも可能となるというテーマです。
今までと見た目は一緒ですが、他の人の意識が宿っていることで人格は別となり、そのような状況に周囲の人々がどのように対応出来るのかというのも大きな課題となっています。

 

そして、同様の昨年末に「コピーフェイス ~消された私~」(NHK)というドラマが放映されていました。
こちらは、ある飛行機にAという女性と、Bという女性が隣同士で乗っていましたが、途中で席が入れ替わったことにより、その飛行機が墜落後、実際はAの女性が亡くなったのですが、周りではBの女性が亡くなったと勘違いされて、実際に生き残ったBたる女性は、外見上Aそっくりの女性として美容整形を施され、見た目はAという女性でありながら、意識はBの女性のままで、その美容整形を行った医院の不正を暴いていくというストーリーです。
そして、周りの人々はAという女性が生き残ったものとして接していくのですが、実際に生き残ったのはBという女性であることから様々な対応が描かれているという内容です。

 

次はある海外のドラマから2つほどご紹介します。
まず、一つ目のドラマでは、ある所に中年の男性の双子の兄弟がいました。
兄は犯罪などに手を染めて、それが元に殺されてしまいました。
一方の弟の方は、銃で撃たれたことによる脳の損傷により手足が不自由となってしまい、リハビリを続けてはいるものの仕事は出来ない状態でした。

 

そのような弟の状況を助けるべく、霊(魂)となった兄は眠りについている間に弟の体に宿り、弟の体を使って夜の間に仕事をしてお金を稼いで弟の生活の面倒を見ていました。
弟は兄が実は死んでいるとは知らされておらず、兄は弟の体に宿っている間に弟の銀行口座にお金を振り込んだり、弟の電話の留守電にメッセージを残したりして、自分(兄)は生きていると弟に思い込ませていました。
そのように寝ている間の弟自身には全く身に覚えのない状態ですが、手足が不自由である弟の体に兄の意識が宿ることで、その間は弟の体には実際の肉体上の不自由さが解消されているという側面も描かれているものです。

 

そして二つ目のドラマでは、不慮の事故によりAという男性が亡くなってしまいましたが、そのAたる男性は恋人への思いからこの世への未練を断ち切れず、この世に留まっていました。
そしてある日、同じく不慮の事故で亡くなったBという男性の事故現場に、この霊(魂)となったAたる男性が居合わせていました。
すると、この霊(魂)たるAという男性はその事故で亡くなったBの男性の体に入り込もうとし、実際にそれをやり遂げました。
周りから見れば、Bという男性が生き返ったと捉えられます。

 

そして、Bという男性の体に宿ったAという男性の意識はその後、自分はAという男性であるという記憶をなかなか回復させることが出来ず、周りの人々との関係性やBという男性の体の外見などから判断して、自分はBという男性として生きていこうと試みますが、時折復活する自分はAという男性であるという記憶や恋人の助けなどを元に、外見はBという男性でありながらも、自分は紛れもないAという男性であると自覚し恋人との関係性も復活させていくという内容です。
このドラマ内では、このような現象を「(魂の)引き継ぎ」として呼ばれています。

 

また、昔流行した映画「マトリックス」、そして私はまだ観ていませんが昨年来より流行している映画「君の名は。」でも「意識の移動」というテ-マが描かれています。

 

ところで、今までご紹介した小説、ドラマ、映画は全て実話ではなくフィクションです。
しかし、これら全てにおいてある一つの共通点を見出すことが出来ます。
それは、意識と体との間に、主従関係があるとするならば、