優生学思想と魂の原点 ~「比較」の中から生まれる「特別」という落とし穴~

第110回:『 優生学思想と魂の原点 ~「比較」の中から生まれる「特別」という落とし穴~ 』
【 参照キーワード:優生学思想、優生保護思想、ナチス、ヒトラー、スピリチュアル 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

先日、障がい者の施設において多数の人命が奪われ、また、多数の負傷者が被害に巻き込まれるという残忍な事件が起こってしまいました。
被害に遭われた方々のご冥福をお祈りしますと共に、負傷された方々の一刻も早い快復を心より願っております。
マスコミなどでは「戦後最悪」という人数の多寡の方に目を奪われるような報道をしている所もありますが、当然のことながら人数の多さが問題という訳ではありません
例え、お一人の人命であっても、残念ながら日常的に起こっている事件という性質では同様かもしれません。

 

今回の事件を起こした犯人は、障がい者は生きている価値が無い、税金の無駄遣いだ、などと供述しているなどの報道もありますが、そのような中で「優生学思想」というテーマを取り上げて報道している所もあります。

そこで、今回は「優生学思想と魂の原点 ~「比較」の中から生まれる「特別」という落とし穴~」というテーマをお伝えしたいと思います。

 

「優生学思想」とは、代表例としては、かつてナチスにより行われた人種選別政策とも言われているように、最終的には大規模殺戮にまで発展し、多くの人命が奪われた出来事でもあり、また、現在も多くの人種差別や偏見などの温床になっているとも言われています。
この思想をシンプルに表現すると、

 

価値のある者のみが生きるべきである
そして、それ以外の者は生きる価値がない、あるいは、生きる価値のある者に奉仕すべきである

 

とも言えます。
当然のことながら、そもそも何を持って生きる価値がある者と生きる価値がない者との間の線引きなどは存在しません
このような線引きは、自分(だけ)は生きる価値があるという自分本位から生み出された判断に過ぎません

 

このような思想は先のナチスの例における反省と二度と同じことを繰り返してはならないとの教訓から、戦後辺りから改善されてきた傾向もあることと思います。
しかし、近頃の風潮を見ると、世界各国、そして、日本国内でもこのような思想が再び源流となっているのでは?と思われる事柄が増えてきているようにも感じられます。

 

今回のような過激な表現、そして行動にまで及んでいなくとも、政治家の発言やTVコメンテーターなどの発言の中にも、同じような匂いを感じることが増えてきているように感じられます。
あくまで、私個人の感じ方ではありますが・・・・・

 

現在行われているアメリカの大統領選挙においても「アメリカが世界最強だ」などと連呼されてもいます。
また、あくまでポジティブな方向性で言っているのかもしれませんが、都知事選挙においても「東京が日本を引っ張る」「東京を世界一の都市にする」「東京は特別な都市だ」などと同じく連呼されています。

優生学思想の根底には、

 

自分(達)は選ばれた特別な存在である

 

という源流が流れています。
そして、繰り返しになりますが「選ばれた」「特別な」という線引きは自分本位の判断から生み出されています。
選挙というある意味特殊な環境であるのかもしれませんが、このような「特別な」という根底には同じような源流が流れているようにも私には思えます。

このような「特別な」という思想や考えは、

 

他者との比較の中でしか生まれない

 

そして、このTOPICSでも何度かお伝えしていますが、

 

他者との比較の中では幸せは見い出せない

 

ということに繋がっています。
「自分は特別だ」と思っているということは、その人は実は、