優生学思想と魂の原点 ~「比較」の中から生まれる「特別」という落とし穴~

自分で自分の価値を見い出せていない

 

とも言えます。
そして、このような理解の元では、これから先も永遠に他者との比較の中でしか幸せを見つけられないということになりかねません。
そして、このような比較には、自分が優秀と思っていることに加え、自分が劣っていると感じることも含まれます

 

必要以上に他者に媚びへつらうという行動も、自分はある人より劣っていて、その劣っていると感じている側面を、自分より強いと思われている人に埋めて貰っているということになっているのかもしれません。
そして、強い側が弱い側を従わせるという「共依存」の関係が出来上がってしまいます。

 

また、懸命にご病気などに取り組んでいる方の中には、家族などに迷惑を掛けてしまって・・・といった負い目などを感じてしまう方もいらっしゃいます。
そのような状況の時に、ご自身の中で私は生きる価値が無い、あるいは、周りの方々(これは社会や医療制度を含めてですが)が病気で働けないのだからこれ以上生きる価値が無い、などと判断するような状況に至ってしまうことがあれば、それは心身共に健全な社会と言えるのでしょうか?
そして、深い議論もなされないままの、表層だけの安易な安楽死議論に繋がっていく可能性もあるかもしれません。

 

なお、誤解の無きように繰り返しますが、人には皆それぞれの個性があります
そして、皆それぞれが多くの長所と短所を兼ね備えています
他の人より多くの長所がある人もいるでしょうし、長所の中でもより伸びている長所もあることと思います。
この「より伸びている」という点について「特別や優秀」と表現されるケースもあるかもしれません。

 

もし、そのような意味であるならばドンドン自分のためや他の人のためにその長所を活用して、さらに伸ばしていくことは素晴らしいことと思います。
また、ある意味肉体的に強い人が、体の不自由な人の手助けをするというのは「従わせる」ということとは違います
このような出来ないことを手助けをするというのは当たり前のことですし、それに留まらずお互いをより理解し合うという関係性に発展させていくことも出来ます。

 

今回のテーマにおいては「優生学思想」というのを取り上げましたが、「選ばれた」「特別な」と思えてしまうような時には、その裏側には「他者との比較」という源流が流れています。
そして、ここでの「他者との比較」というのは「個性の違いを尊重する」という思いとは似て非なるものです。
このような「選ばれた」「特別な」という言葉は耳障りの良い響きがあると共に、どこか道を外れた方向性に誘う性質も含まれているかもしれません。

 

私がカウンセリングなどを行っている中にも、「(他の人)より少ない」という点を「劣っている」という見方をしている方も多い傾向もあります。
また、傾向としては少ないですが、「(他の人)より多い」という点で「苛まれる不安」や「円滑に物事が行き過ぎていることに対する不安」などをお持ちの方もいらっしゃいます。
このような点はお金などを当てはめてみるとより見えてくることがあるかと思います。

 

そして、今回の様な事件を少しでも減らし防ぐために出来ることはあるのでしょうか?
行政・司法・医療などの社会的見地からも出来ることはあることでしょう。
そして、そのようなことも同時に必要なこととも思います。

ここから先はあくまで私個人の見解ですが、このような事件を減らしていくためには、

 

「魂の原点」とも言うべき視点を持つ

 

ということも少なからず役立つのでは?と考えています。
それは、

 

私達は「なぜ」生まれてくるのか?

 

を考えることでもあり、ヒプノセラピー(催眠療法)の「前世療法」などを行っている私の立場からすると、

 

なぜ立場や役割を変え、私達は「何度も」生まれ変わってくるのか?

 

を考えるという視点です。
このような視点は魂の存在というものを前提としていますが、それを是や非で判断するものではありません。
また、同様に難解な哲学的なことや宗教的な視点を持つということでもありませんし、オカルトめいた見方という性質のものでもありません
言わば、

 

自分の意識・見方を少し拡大する

 

という視点です。
例えばあくまで私の個人的見解ですが、