人間関係における距離感と恋愛 ~人間関係にタブー!?な数字を敢えて当てはめてみる~

【 基準を設定しているのは自分自身 】

期待をしている割合の表現を変えると、

 

あなたが「見返り」を求めている(かもしれない)割合

 

になります(笑)

 

 

勿論「見返り」を求めず、自分に出来ることは全て行う人もいるでしょう!

 

このように職場の人、知り合いや友達の場合には「0%」でもなければ、「100%」もほとんどないでしょう(笑)

つまり、「0%から100%」の間の「どこかの基準」を自分が設定しているということです!!!

 

【 親子や家族の場合 】

では、親子や家族の場合はどうでしょうか???

親子や家族とは養親と養子、あるいは何らかの事情で施設で暮らしている人も、その施設内での役割という意味でここに当てはまります。

親子や家族の場合は、

 

「0%から100%」までの全てを含んでいる

 

という傾向が高いです。

 

親子や家族は社会における「人間関係の基礎・土台」になっていきます。

故に、何があっても裏切れらない「信頼感」や、逆に身近過ぎるが故に「意固地」になるケースもあります(笑)

 

 

【 依存から自立・自律へ 】

 

小さい子どもは100%親や家族に依存しなければ生きていけません!!!

 

裏を返せば、親や家族は小さい子どもには「手をかける」必要があることを意味します。

 

そして、親子や家族では、

 

子どもは「100%」の依存から「0%」の依存へ向けて自立・自律を目指す

 

また、親や家族の側は、

 

子どもが「100%」の自立・自律が出来るよう「手をかける」ことから「寄り添い」へ向かっていく

 

ということです。

 

 

【 依存と支え合いは違う 】

言わば、親や家族の側の自立・自律も同時並行で進むことを意味します。

つまり、

 

子どもは「受動」から「能動」へ、そして、親や家族は「能動」から「受動」

 

ということです。

 

ただ、一つ大切な点は、

 

「依存」と「支え合い」は違う

 

ということです!

 

例えば、依存は「自分で出来ることまで」して貰うという意味です。

一方の支え合いは「自分では出来ないことを」して貰うという「違い」があります。

 

 

そして、「支え合い」の中には「見返り」は本来は存在しません。

 

ちなみに、仕事をして給料を貰う、サービスや商品を提供してお金を頂くのは「見返り」ではありません(笑)

これは、労働の対価、言わば「対価の交換」という行為です!

 

【 恋愛の場合 】

最後は「恋愛」です!

冒頭の私が見ているトレンディードラマでも、「これでもか!!!」という程のすれ違い、誤解、優柔不断さ」などが登場します!

このような状況を「ドキドキハラハラ」して見る人もいれば、「イライラ」して見る人もいるでしょう(笑)

 

あくまで極端な見解からの「恋愛」では、

 

「0%」か「100%」のどちらかでしか成立し得ない

 

かもしれません。

なぜなら、「恋愛」の「好き」という感情

 

理屈ではない

 

からです(笑)

 

 

あなたが好意を寄せている人がいれば、その人を思い浮かべてみて下さい、、、

おそらく、あなたはその人の素敵な点を「幾つか」、あるいは「幾つも」思い浮かべることが出来るでしょう。

 

では、それらの素敵な点が「一定程度」を上回ったから好意を寄せるようになったのでしょうか???

あるいは・・

もともと好意的な気持ちがあったから、素敵な点を「より見つめる」ようになったのでしょうか???

 

 

答えは「どちらも正解」でしょう!

これが「理屈ではない」ことの証かもしれません!?(笑)