平和の祈りと初夢・冬至 ~マザー・テレサの「平和の祈り」からも~

『 主よ、
  わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

  憎しみのあるところに愛を、
  いさかいのあるところに許しを、
  分裂のあるところに一致を、
  疑惑のあるところに信仰を、
  誤っているところに真理を、
  絶望のあるところに希望を、
  闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
  もたらすものとしてください。

  慰められるよりは慰めることを、
  理解されるよりは理解することを、
  愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
  わたしたちは与えるから受け、許すから許され、
  自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。 』

 

それでは、現状ではどうでしょうか?
現状はテロ行為に限りません。

 

私は相手を理解しようとしているでしょうか?
また、
相手は私を理解しようとしているでしょうか?

 

おそらく現状では、「攻撃される」よりは「攻撃すること」を、という風に取り違えているようにも思います。
また、「自分を捨てて死に、永遠の命をいただく」とは、奉仕の精神を表してるように思えます。
決して「自分を捨てて死に」の結果が、その人のみが天国へ行けるという所に本質があるようには私には思えません

 

「理解する」ためには、「相手を知る」ことが必要です。
そして、「相手を知る」ためには「対話」が必要となります。
そして、「対話」を進めて行くことが「分離」を縮め、抵抗・摩擦を少なくしていきます。

 

磁石でも「S極」と「N極」は互いに引き寄せ合います。
しかし、「S極」と「S極」、あるいは「N極」と「N極」同士では反発し合います。