第74回:『 明石家さんま さんの「神対応」から 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

先日、お笑い芸人の明石家さんま さんの特集番組がTV(日本TV系列)で放映されていました。
その番組の1コーナーで、明石家さんま さんのファンに対する「神対応」に関して色々紹介されていました。

「神対応」は最近色々な所で使われていますが、私なりの表現を用いれば、

 

人と接する際の、素敵な身の処し方

 

と、言えるかもしれません。
この中では、ファンの方への写真撮影の要望に応えるケースが紹介されていました。
その紹介について、明石家さんま さんは以下のように心情を語っていました。

 

『 (電車などの時間の制約がない限りは写真撮影は断らない。なぜなら、)
  写真も「はいよ!」って応ずる方が、一発で済む。
  そのように対応した方が、(自分の中で)精神的に楽!
  マスクや帽子など(の変装)をしていると、苦しくてしんどい! 』   と。

 

それを聞いていたある芸能人の方も、

『 (変に)ザワザワされるより、普通に挨拶した方が良いのかなって(思う時もある)。 』

と、いう風にコメントしていました。
芸能人やスポーツ選手など、絶えず衆知の目に晒されている状況は、ストレスも相当なものと感じます。
自分だと分からないように振る舞いをしていても、誰かに気づかれ、場が騒然となっていく。
そして、そのような場になって初めて、何かしらの対応をせざるを得なくなる。

 

その対応にも、場を騒然とさせないよう立ち去る、あるいは握手などに応じる、など様々なことでしょう。
立ち去れば立ち去ったで、後で、TVと違う、お高くとまっている、などと揶揄されることもあるでしょうし、握手や写真などに応じても、全員に対応するには無理があることと思います。
対応されなかった人は不快に思う方もいるかもしれません。

 

私達も日常生活において、様々な人との対応をしています。
そして、多くの方が社交的な対応をする際に、

 

「出来るだけ自分を出さないように」

 

と、無意識に心掛けている方が多いかもしれません。
そして、そのような対応をすることが、相手の人を立てることになる、という思いもあるのかもしれません。

 

このような対応は、ある種、日本人的な発想なのかもしれません。
「控えめに」という美徳であるのかもしれません。
私もそのように思うこともありますし、「相手を立てる」という思いも素敵なものだと思います。

しかし、このような思いの中に、

 

相手を立てるためには、「自分」を抑えなければならない・制限しなければならない

 

という「思い込み」も幾分あるように私には感じられます。
これは、詰まる所、

 

ある状況のもと、相手も自分も楽しむためには、どちらかが制限しなければならない

 

という「思い込み」にも繋がっていきます。
そして、このような「思い込み」は最終的に、