第238回:『 裁(さば)くという事について・・・ ~身近に溢れている裁きの判断の本質~ 』
【 参照キーワード:裁く、処分、評価、判断、コミュニケーション 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。
ところで、今回のテーマは「裁(さば)くという事について・・・ ~身近に溢れている裁きの判断の本質~」をお届け致しますが、「裁(さば)く」という言葉を聞くと、裁判や死刑制度などを連想する方も多いかもしれませんが、私達は日常的に、また、多くが無意識的にも「裁く」という事を行っております。
つまり、ここでの「裁く」とは、
意識的せよ・・・
無意識的せよ・・・
私達は常に、誰かや何かに対して・・・
何らかの「判断」を下している・・・
という意味合いが含まれています。
勿論、裁判や死刑制度という観点からは、殺人事件や危険運転などでの被害者やご遺族の方々が断罪や極刑を求めるお気持ちを理解出来る部分などがクローズアップされたりもしますが、今回は日常の身の周りの出来事などにおいても、
「裁きの本質」はどこにあるのか?
という点を考える素材として頂ければとの趣旨で進めて参ります。
そこで、まず、このTOPICSにおいても、
コミュニケーションは様々なレベルで行われている
という点を幾度かお伝えしておりますが、
「裁く」という「判断」も様々なレベルで行われている
という「本質」は共通しています。
では、ニュースなどで紹介もされておりますので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、ある一つの出来事から今回のテ-マを見ていきたいと思います。
それは、昨年の甲子園に出場した高校において、同校のダンス同好会が主催した有料(500円)のイベントに野球部員が参加した事により、日本学生野球憲章に定められている「野球部または部員を政治的あるいは商業的に利用しない」との規定に抵触している可能性がある事により、関係者の「処分」が検討されているとの出来事です。
これには様々な意見が出されている模様ですが、どちらかと言うと、多く出されている意見としては、
有料(500円)と言っても、それは借りる会場費であったり、準備の為の設営費などでもあるだろうし・・・
ダンス同好会の皆さんは、自分達のパフォーマンスを多くの人に観て貰いたいとの願いで主催したものであり・・・
参加した野球部員も甲子園での応援をして貰った事への、恩返しの思いからの事でもあり・・・
それを処分するとは、あまりにも杓子定規に過ぎるのでは・・・???
との見方が多いようにも思われます。
あくまで私個人の見解ですが、私自身も先の意見と似たように、「そこまで目くじらを立てなくても良いのでは・・・?」と感じておりますが(笑)
また、今回の出来事では、野球部とダンス同好会の責任者を同じ人が兼任しているとの、妬み嫉み?などの「大人の事情?」が問題をややこしくしている面もあるのかもしれません(苦笑)
そして、ここ迄で「処分」という言葉も出てきましたが、「処分」というのは会社などでも行われる事もありますし、車の運転などでのスピード違反や、一時停止をしなかった事などに対するものも「(行政)処分」となるように、この「処分」というのは「裁き」と同じ事になります。
これが、「裁く」という「判断」も様々なレベルで行われている、という点をご理解頂ける一つの例示にもなるかと思われます。
では、ここからあくまで私個人の見解としての「裁く」という「判断」の「本質」を見ていきたいと思います。
それは、