「裁く」とは・・・
何かをした相手に、物事の本質を「理解させる」ことであり・・・
必ずしも、相手に不利益な事を課することでもなく・・・
「判断」とは・・・
何かをした相手に、自分の考えている本質を「伝える」ことであり・・・
必ずしも、相手に「悪い」というレッテルを貼ることでもなく・・・
出来る事であるならば・・・
出来る範囲内で構わないので・・・
お互いに「理解」し合えるように努めてみる・・・
という点に「本質」が存在すると考えております。
そして、これはとても難しい事でもあると思いますが、
どのように・・・
どこまでなら・・・
相手を「赦せる」のか・・・
という点を考えていくのが、一つの大切な視点にもなり得るようにも感じています。
そして、それと同時に、
相手に対しては、「けじめ」などの「区切り」を付けさせる事も必要で大切な事でもあり・・・
「駄目なものは駄目!」と伝える事も必要で大切な事でもある・・・
という視点も忘れてはならないのは言うまでも無い事と思われます。
そうでなければ、「どうせ「赦して」貰えるのであれば、何をやったって構わない!」と誤解や曲解をする人も出てきてしまう事と思います(苦笑)
そして、TOPICSでも何度もお伝えしております通り、
自分のした事は自分に反ってくる
という視点が具現化したものが、世の中や社会においては、例えば車の運転における違反などでは「罰金」という「処分や判断」が下されるという意味でもあります。
ちなみに、今までのTOPICSにおいては、「自分のした事は自分に反ってくる」という視点だけでも考えて貰えればとの思いでお伝えして来ておりますが、実は、この視点には、
更なる「奥行き」という「深さ」に根本理由が存在している
というのも事実です。
なぜなら、「自分のした事が自分に反ってくるのであれば、自分で責任を取ればそれで済む話でしょ!」との反論も成り立つのですが、それが「自分だけ・・・」では通らない理由や存在もあるのですが、それは、また機会を見つけてお伝え出来ればと思っております(笑)
そして、なぜ「理解させる」ことが必要で大切かと言いますと、この世や社会においては、
「裁き」の裏道や抜け道を探す人が必ず出て来る
からです(苦笑)
笑い事では済まされませんが、この「理解させる」ことにおいて大切になるのは、
because(なぜなら)・・・
〇〇だから・・・
とキチンと相手に伝える事が必要になります。
この点に関しましては、2018年12月8日のTOPICS「「because~」が失われた2018年」においてもご紹介しておりますので、興味のある方は参照してみて下さい(笑)
今回のテーマの「裁く」、あるいは、「判断」という事に対しては、それこそ、多種多様の様々な見方や見解が存在します。
どれが悪くてどれが良い、あるいは、何が間違っていて何が正しいなどは、一概に言えるものでもない事と思います。
ただ、繰り返しですが、
私達の誰もが・・・
日常生活において・・・
常に何かしらの「判断」を下している・・・
という点は、宜しければ頭の片隅にでも入れて置いてみて下さい。
なぜなら、