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天使の証明

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「天使の証明」というテ-マを設定しておりますが、天使が実在するか否かという話題ではありません。
ある一つの概念についてのお話であり、好意的に表現すれば論理的に考えることであり、平たく表現すれば理屈っぽい見方と言えるかもしれませんが、イメ-ジだけでも捉えて頂ければ、新たな見方に繋がっていくかもしれません。

 

なお、天使が実在するか否かというテ-マは、よく悪魔が実在するか否かという「悪魔の証明」というテ-マで多くが論じられたりしていますが、どちらでも同じ見方に繋がりますので、今回は少しでもポジティブなイメ-ジを伴う天使の方を取り扱っていきます。

 

天使が実在するか否かを証明する手段としては、まずは以下の2通りの手段が考えられます。

 

天使が実在することを証明する
あるいは
天使が実在しないことを証明する

 

では、どちらの方がより効率的で有効でしょうか?

 

天使が実在することを証明する手段としては、天使が実在する痕跡を発見する、目撃した人の証言を集める、ビデオに撮影する、古代の書物などから情報を整理する、など様々な手段が考えられます。

 

一方、天使が実在しないことを証明する手段にはどのような方法があるでしょうか?
科学的検証で発見出来ていないのだから実在しない、脳が産み出した妄想である、など様々な反証も成り立つかもしれません。

 

しかし、実在しないことの証明としては、現時点では成立し得ません。
科学的検証で発見出来ないものが全て実在しないというのは、むしろ科学的な発想を持つ研究者などが違和感を持ちます。
なぜなら、目に見える見えないに関わらず、そのような現象を解明しようと歩み続けることが科学の命題だからです。
また、現時点では脳の機能の全てが解明されている訳ではありません。
むしろ、解明された?と思われている脳の機能についても、ごく僅かの部分でしかありません。

 

勿論、将来的に脳の機能の全てが解明される日が来るかもしれません。
しかし、仮にビデオに撮影された天使の画像などを分析しても意図的に作成されたものではないという点があれば、脳の機能とは別問題になります。
このような場合は、さらに科学的に映像の分析、光学上の影響、大気中のガスなどの影響などを調査していくことになるでしょう。
そして、実在しないことを証明するためには、このような調査を続行し続ける必要性が生じてきます、、、、、

 

言い換えれば、天使が実在しないことを証明するには、

 

全ての可能性を、あらゆる面を含めて調査し続けなければならない、、、、、

 

ということになります。
そして、実在しないということを、あらゆる面を含めて調査するというのは、

 

実は、ほぼ不可能である

 

ということです。
実在することを証明するのは、痕跡などを発見し、そして、それをさらに検証していくことで可能性としては広がっていきます。
ノ-ベル賞などでも、過去の一つの発見が、現代の新しい発見と地下深い所の水脈のように繋がっているのはご理解出来るかと思います。

 

しかし、実在しない、あるいは、ある現象が無いということを証明するのは、あるゆる可能性を潰していくというように永遠に続けざるを得ないという性質があります。

 

そして、このお話には裏のテ-マが隠されています。
それは、

 

「有るという概念」と「無いという概念」

 

についての見方です。
「有ること」と「無いこと」は、一見すると、相対立する概念のように思われます。
相対立するというのは、一方が成立すれば、他方は成立し得ないという結論になります。

 

では、「無いという概念」を見ていきます。
この「無いという概念」の一番のポイントは、

 

「無いという概念」の中には、「無い」ということすら存在し得ない

 

ということです。
表現を変えれば、「無い」という発想や考えすら、「無いという概念」の中には存在しないということです。
究極的には、「無いという概念」すら存在し得ないということです。

 

では、一方の「有るという概念」はどうでしょう。
この中には、存在するという「有る」という概念は当然含まれています。
そして、この「有るという概念」の中には、「無いという概念」も「有る」ということになります。
つまり、「有るという概念」は、「有ること」も「無いこと」も両方含まれているということです。

 

私達が、そんなのはあり得ないと考えたり発想することも、「無いという概念」から産まれているのではなく、
「有るという概念」の中で、「無い」という考えや発想を産み出していることになります。
なぜなら、繰り返しですが、「無いという概念」には、「無いという概念」すら存在出来ないからです。

 

このように見てくると、「有ること」と「無いこと」は、実は相対立する概念ではなく、「有るという概念」の中での見解の相違とも言えるかもしれません。

 

つまり、天使が実在するか否かという表現は、その大元は「有るという概念」の中に両方が含まれていることになります。
先ほど私は、実在しないことを証明するのは、ほぼ不可能であるとコメントしました。
実在しない、あるいは無いということを証明することも時には可能です。

 

例えば、冤罪などのように、実際には犯罪などを行っていないのに、犯罪を行ったとして逮捕され、「無実を証明する」時などです。
そのために、アリバイや、色々な検証の元、物理的・時間的に行うことは不可能などの結論が出されることもあります。
そして何よりの証明は「真犯人」を見つけるということです。
これで、「無実の証明」の全てが解決されます。

 

そして、「思考が実現する」というポイントの一つもここにあります。
「思考が実現する」というのは「有るという概念」の中での出来事です。
実現が不可能に思えるようなことも、「無いという概念」では、そのような発想や考えすら存在しません。
「存在そのものが、存在していない」とも言えるでしょう。

 

このような観点から、私達が思ったり、あるいは考えたりすることは、

 

少なくとも、実現する・存在する可能性がある

 

ということです。
昨年少し話題になっていましたが、映画「バック トゥ・ザ フュ-チャ- 2」で描かれていた未来の生活が、その未来の時代設定として選ばれた2015年においてどの位実現しているか?という検証がなされていました。

 

全てが実現している訳ではありませんが、その中のある部分については実現化している、あるいはもう少しで実現可能な所まで来ている、といった報告がされていました。
同じようなことは、ドラえもんの道具から発想を得て、実際に研究機関で実験的に作製されているものもあります。

これら全ての源は、

 

「有るという概念」の中での私達の発想

 

から産み出されているものです。

「有るという概念」という表現は理屈っぽく、また分かりづらいかもしれませんが、

 

私達には常に可能性がある

 

と表現を変えることも出来るでしょう。
そして、人間関係の中などで、何か相対立していると思われる見解の相違などがありましたら、
少し見方を変えて、相手も、

 

「有るという概念」の中で考えている

 

という共通点を思い出してみて下さい。
ほんの些細なことかもしれませんが、相手と同じ共通点に気づくことは、その後の話し合いにも良い影響を与えるかもしれません。
相対立していると思われる出発点から妥協点を見つけるのではなく、
共通点を出発点として妥協点を探っていくと、別の世界が開けてくるかもしれません、、、、、

2016年1月15日 04:01

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