天使の証明 ~「有る」という概念&「無い」という概念の関係性から~

「有るという概念」「無いという概念」

 

についての見方です。
「有ること」と「無いこと」は、一見すると、相対立する概念のように思われます。
相対立するというのは、一方が成立すれば、他方は成立し得ないという結論になります。

 

では、「無いという概念」を見ていきます。
この「無いという概念」の一番のポイントは、

 

「無いという概念」の中には、「無い」ということすら存在し得ない

 

ということです。
表現を変えれば、「無い」という発想や考えすら、「無いという概念」の中には存在しないということです。
究極的には、「無いという概念」すら存在し得ないということです。

 

では、一方の「有るという概念」はどうでしょう。
この中には、存在するという「有る」という概念は当然含まれています。
そして、この「有るという概念」の中には、「無いという概念」も「有る」ということになります。
つまり、「有るという概念」は、「有ること」も「無いこと」も両方含まれているということです。

 

私達が、そんなのはあり得ないと考えたり発想することも、「無いという概念」から産まれているのではなく、「有るという概念」の中で、「無い」という考えや発想を産み出していることになります。
なぜなら、繰り返しですが、「無いという概念」には、「無いという概念」すら存在出来ないからです。

 

このように見てくると、「有ること」と「無いこと」は、実は相対立する概念ではなく、「有るという概念」の中での見解の相違とも言えるかもしれません。

 

つまり、天使が実在するか否かという表現は、その大元は「有るという概念」の中に両方が含まれていることになります。
先ほど私は、実在しないことを証明するのは、ほぼ不可能であるとコメントしました。
実在しない、あるいは無いということを証明することも時には可能です。

 

例えば、冤罪などのように、実際には犯罪などを行っていないのに、犯罪を行ったとして逮捕され、「無実を証明する」時などです。
そのために、アリバイや、色々な検証の元、物理的・時間的に行うことは不可能などの結論が出されることもあります。
そして何よりの証明は「真犯人」を見つけるということです。
これで、「無実の証明」の全てが解決されます。

 

そして、「思考が実現する」というポイントの一つもここにあります。
「思考が実現する」というのは「有るという概念」の中での出来事です。
実現が不可能に思えるようなことも、「無いという概念」では、そのような発想や考えすら存在しません。
「存在そのものが、存在していない」とも言えるでしょう。

 

このような観点から、私達が思ったり、あるいは考えたりすることは、

 

少なくとも、実現する・存在する可能性がある

 

ということです。
昨年少し話題になっていましたが、映画「バック トゥ・ザ フューチャー 2」で描かれていた未来の生活が、その未来の時代設定として選ばれた2015年においてどの位実現しているか?という検証がなされていました。

 

全てが実現している訳ではありませんが、その中のある部分については実現化している、あるいはもう少しで実現可能な所まで来ている、といった報告がされていました。
同じようなことは、ドラえもんの道具から発想を得て、実際に研究機関で実験的に作製されているものもあります。

これら全ての源は、